第211話 抜き打ちとは違う

 今思い返しても面白く感じる。クラスの子達に試してみたくなるが、実際にやったらそれこそ保護者からクレームが殺到するかもしれないので自重するとしよう。

 考えてみると、六谷が使命を果たすための正解を探すのって、これとちょっと似てないだろうか。恐らく六谷に与えられたタイムリミットは、長くて二〇一〇年までだろう。二〇一一年になれば直接九文寺薫子を助けることができるのに許されず、期限内のいつ九文寺に接触し、働きかければよいのかを探るしかないのだ。パラドックスと言えるようなものではないが、最善手を取れない隔靴掻痒感は矛盾と呼ぶのにふさわしい。

 ……気持ちを切り替えたつもりが、元に戻ってしまう。今日は、他にも私にとって初体験の行事があるので緊張感を持って臨まねばならないのだ。

 テレビでニュース番組を入れっ放しにして、朝の支度をしていると、今日の日中は雨模様だという天気予報が聞こえて来た。カーテンを開けて外を見ると、確かに暗い。まだ降り出してはいないものの、間違いなくレインコートを持って行く必要があると理解した。最初から着用しておくことになるかもしれない。

 こちらの時代に来て自転車通勤をしているわけだが、初めて雨に降られたときは焦ったものだ。レインコートがどこに仕舞われているのか分からなかったのだ。玄関の近くにある棚をごそごそやるも見付からず、衣類ボックスの中にもない。スーツなどを掛けているクローゼットは極狭くて、余分な物を入れておいて目に留まらないはずがない。

 散々探した挙げ句、見付かった場所は洗面台の下の収納スペースだった。岸先生の意図としては、水に濡れる物だから洗面台の下でいいや、ってことなんだろう。

 レインコートは灰色をした若さの感じられない代物だったが、布地が突っ張らなくて足を動かしやすく自転車に乗るときには非常によかった。夜間安全の目的で反射材のラインはもちろん入っているし、フードがうまくフィットして、頭がほとんど濡れないのもいい。

 そんな風に重宝していたせいもあって、レインコートを手に取ってじっくり見るなんてことは、当然なかった。

 今朝に限ってレインコートのポケットに手を入れてみたのは、たまたま指先が引っ掛かったからだとしか言えない。ポケットが付いていること自体、意識していなかった。

「お? 何か固い紙みたいな物が」

 人差し指と中指とでつまんで引っ張り出すと、それは一枚のはがきだった。

 宛名には岸未知夫とあり、住所もここのもの。恐らくレインコートを着ているときにはがきを直に受け取るか、郵便受けから取り出してポケットに仕舞うも、そのまま忘れてしまったものなのだろうと見当づける。

 私は差出人の名前を見た。

「八島華……」

 見覚えがある字面に頭を捻る。だが、思い出すよりも先に、時間が思いのほか経過していることに気付いた。裏面に目を通す余裕はなく、急いで出発する。雨が降り出していたこともあり、はがきはコートのポケットに戻さず鞄の中に仕舞った。

 学校までの道すがらに思い出そうとするのは、かなり危険そうなのでやめておく。せめて雨降りじゃなかったのなら、多少は考えたかもしれないが、逆に天気が雨じゃなければ今日レインコートのポケットに手を入れることもなかったわけで。

 結局、名前について思い出せたのは学校に着いて校舎に入る間際だった。

「八島華って確か、岸先生の好きな人ランキングで不動の二位の人だ。間違いない」

 思い出すと次には当然、はがきの文面を知りたくなる。岸先生に悪いなと思いつつ、鞄からはがきを引っ張り出して読んでみた。

 そこにはご無沙汰していることと、連絡を取りたいのだけれども電話がつながらないことが短く記されていた。簡潔ながら、この人物が岸先生を気にしている様子が伝わってくる文面であった。

 となると私にとって問題は、まず岸先生がこのはがきを読んだのかどうか。そして読んだ上で連絡を取ったのかどうか。この二点が気懸かりではある。

 あいにくと消印は水に濡れてしまっており、とても読み取れない。ただ、五月に来たはがきなのは間違いなさそうだ。加えて、電話がつながらないとある。これってもしかすると、私がこの二〇〇四年に来た当日というか前日というか、ともかく岸先生が自宅アパートの一室で襲撃されたときと重なっているのかなと最初は思った。けれどもそれでは計算が合わない。このはがきを岸先生が受け取ったのは、襲撃された日よりも前なのは確実。八島華なる女性が岸先生の部屋に電話するもつながらなかったのは、それよりさらに前の話のはずだ。

 ということは、電話がつながらなかったのはたまたまで、それもそれなりに長期に渡って不通だったのだろう。八島華さんは何度か掛けたはずだから。恐らくモジュラージャックが何かの拍子に抜けて、しばらく岸先生が気付かなかったと考えられる。

 私は熟慮して、岸先生は多分、この人に連絡を取れていないだろうと推測した。


 つづく

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