第212話 普段と違う成績のわけ

 八島華と連絡が取れていないとする根拠はこうだ。このはがきの差出人は、岸先生にとって好きな人ランキング二位である。受け取ってからちゃんと対処したのなら、はがきをどこかにきちんと仕舞っておくのが普通ではないか。実際にはそうなっておらず、レインコートのポケットに入れっ放し。明らかに忘れてしまったか、あるいは対処するつもりはあったのに例の事件に巻き込まれて手付かずのままになったかだろう。

 私はこの女性がどんな人なのかまったく知らないのだから、相手側から何らかの再アプローチでもない限り、放っておくのが一番だとは思う。

 それでもなお気になるのは、八島華さんは岸先生と連絡が取れていないにもかかわらず、どうして再アプローチをしてこないのかという疑問が残るから。普通、長らく会っていない人と連絡が取りたくなったのなら、電話を何度かかけ直すものだろう。つながらないのなら、共通の知り合いを辿って連絡を付けようとするはず。そういった痕跡が全くない。岸先生宛に届いた配達物には全て目を通させてもらっているが、八島華名義の物は他になかった。

 想像を膨らませると、いくつかのパターンが思い浮かぶ。とりあえず、八島華さんも岸先生のことが好きであり、岸先生から好意を持たれていることもある程度察しているという前提に立つと。

 パターン1。八島華はこの度別の男性と結婚が決まった、もしくは決まりそう。それを止めて欲しくて連絡を取ろうとした。実際には連絡が取れないまま、時間切れで結婚に踏み切った。

 パターン2。海外勤務が決まったことを報告するつもりだったが、時間切れ。

 パターン3。好意に甘えて借金の申し込み。時間切れ。

 ……朝の忙しい時間帯を、名前しか知らない他人のことで消費するのは建設的でないな。学校が終わって帰ったら連絡先を探してみるか。八島華さんの方ははがきに電話番号を記していないくらいだから、書かなくても知っているでしょという心づもりだったに違いない。携帯端末を持たない岸先生のことだから、どこかにメモがあると思う。


 小テストはやってすぐに採点するケースがほとんどで、今日実施した分も全てそれに当てはまった。採点方法は隣の子同士でテスト用紙を交換し、先生の解説を聞いきつつ○×を付けるシステムを採っている(個人情報保護の観点から色々と言われることもある方式だが、今その話は脇に置く)。一つ目の漢字の小テストを終え、回収した答案用紙の点数をざっと見ていく。概ね、よい成績に収まっていたのでほっとした。

「……ん?」

 手が止まったのは、天瀬の答案に目を通したとき。私が把握している限り、予告付きの小テストならほぼ毎回満点なのが当たり前だったのに、今日はよくない。八十点を取っているのだから充分に及第点に達しているとは言え、ちょっと気になる。そのときは何も言わずにいたのだが、二つ目の小テスト、算数の計算問題でも八十点止まりだったのを見て、懸念が増した。

 授業終わりに彼女を呼び止め、廊下の端っこで話を聞いてみることにする。

「天瀬さん、今日は調子がよくないのかな」

「はあ、まあ」

 気のない返事。特に何か用事がある風でもないのに、心ここにあらずといった態度に見える。視線はこっちを向いているのだけれども、焦点が合ってないというか。

「漢字も計算もちょっとした不注意で間違えている。点が抜けたり、括弧の計算を後回しにしたり」

「気を付けます」

「その、なんだ。注意が散漫になることが何かあったんじゃないかと思って聞いているんだが」

「……実は」

 言い掛けて、教室の方をちらっと一瞥した天瀬。私には感付かれていないつもりなのか、小さくため息を挟んで、

「ううん、何でもないよ」

 と答える。

 ここで無理に聞き出すのはよくない。下手すると逆効果で、頑なにさせてしまう恐れもある。そうと分かっていても、この機を逃すのももったいない気がした。今、六谷のことや八島華の件など、抱えている問題が多くなってきている。だけど私の本来のなすべきことは天瀬美穂を守る、これが最優先に考えなければいけないのだ。

「天瀬さん。誰にも言わないから、話してくれないだろうか。今日はもう一つ小テストがあるけれども、もしそこでも普段よりも低い点数だったら、先生も心配で落ち着かなくなる。おうちの人にも連絡をしなきゃ行けないかも」

 さっき教室を見やったのだから、不注意に陥った原因は教室、学校のことにあるはず。家庭の問題ではあるまい。だからおうちの人云々と脅かすようなことを言ってみたのだが、果たして。

「お母さんには言わないで。理由聞かれても、恥ずかしくて言えないから」

「恥ずかしい?」

 まさか、第二性徴とかに関わる話じゃあるまいな。そんなのは手に負えないぞ、多分。

 などと想像を逞しくしてしまったが、そんな悩みなら教室をちらと見る意味が分からない。

「……岸先生は私を守ってくれたから特別に教えてもいいよ。ただし、絶対に誰にも言わないで」

「分かった。約束する」

 私が請け合うと、彼女は手でメガホンの形を作って口元にあてがった。なるほど耳打ちかと、私は若干身体を傾け、右の耳を向けた。

「あのね」

 いつもに比べてくぐもった天瀬の声が、ややくすぐったい息と共に届く。そして周囲の喧騒に混じって、その声はしっかりと聞こえた。

「今日の朝、いきなり告白されたの」


 つづく

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