第289話 状況が違うと焦りも違う

 その気持ちが表情に出てしまったか、天瀬の方から話し掛けてきた。いやその前に、トコトコっと近付いてきた。そして耳打ちするときのような小声で言う。

「先生。勘違いしてるでしょ」

「何を」

 こちらも小声で聞き返す。天瀬は長谷井の方を肩越しに一瞥してから、再び口を開いた。

「私が委員長と二人だけで来たと思ってない? 男子と仲よくなる一環で」

「それはまあ考えた。違うのか」

「うん。二人きりってところが違うの」

「なんだ、グループデートってことかい」

 だとしたら少なからず安心できるんだが、目の前の天瀬は左右に首を振った。

「うーん、ちょっと違うかな。グループデートじゃなくて、他にいるのは男子がもう一人だけ」

 つまり、男子二人に女子は天瀬が一人。もしや、両手に花か? 我が未来のお嫁さんはおもてになるなあ、はっはっはっ……と笑い飛ばしたいのだけれども、これは聞き捨てならない。

「もう一人は誰が来てる? 今、姿が見えないようだけれども」

「トイレ。我慢できないって、走って行っちゃった」

 あー、さっき見掛けたあれか。誰だろう? 顔は見えなかった。

「考えても分からないかも。堂園君だよ」

「――なるほど。そういうことか」

 私は堂園の名前が出た時点で、勝手に想像した。転校する堂園の思い出作りのニュアンスが強いデートなんだな、これは。それを確認するための問い掛けをしてみると、天瀬からの返事は果たしてその通りだった。

 安心はしたものの、これはこれで別の不安が生まれる。天瀬が複数の男子と遊びに行くことに慣れて、この先、当たり前のようになったら……将来の旦那としては心配にならざるを得ないわけで。今の時点で天瀬には長谷井という本命がいるにもかかわらず、もう一人男子を誘うのは、転校する堂園に対する優しさだけが理由なのかどうか。

 一対一はだめ、一対多人数でもだめというのは、未来の夫たる私のわがままに違いない。突き詰めれば、誰ともデートするなってことになる。男のエゴ剥き出しだな、情けない。寛容でいる心構えはできていたはずなのに、天瀬がクラスの男子と仲よくしている場面にこうして出くわすと、軽く動揺してしまう。目新しい要素である“学校の外”“プライベート”というのが精神的によくないのかも。

 もちろん、過去が書き換えられた結果、今日という日のデートになったと考えられる点も気になっている。六谷の話だと、本来の二〇〇四年では交流行事は無事に行われたらしい。なので、少なくとも今日、天瀬と長谷井、堂園達が揃って科学館に来ることはなかったはず。異なる未来を歩むことになった天瀬が、この先元のルートを徐々に外れていって、私と出会いもしないことにでもなったら泣くに泣けない。かような重要局面?に置かれているのだから、多少は神経質になっても大目に見て欲しい……。

 考えるまでもないことだが、吉見先生と今日こうして出掛けて来たこともまた、一度目の二〇〇四年にはなかった展開のはず。その結果、天瀬達と偶然会うことになったのは、天の思し召しってやつなのではないか。未来への影響を自力で最小限に食い止められるチャンスが、その辺に転がっているのかもしれない。

 あの神内みことに、そこまでの気遣いを期待していいのかどうかは分からないが。


             *           *


(おっそいなー、あの二人)

 堂園欽一はすぐ来ると思っていた長谷井と天瀬がなかなか姿を見せないため、待ちくたびれて壁にもたれ掛かった。

 腕時計を見ると、プラネタリウムの終演から五分ほどが経っている。

(まだ感想でも言い合っているの頃か。しょうがないな。でも自分がわざわざ引き返すのもばからしい。ここで待つ)

 今日の堂園は、いつにも増してお洒落をしてきた。うっすらとチェックの入ったシャツに柄物のネクタイ、白の半袖ジャケット。下は水色に近いジーパン。靴だけはいつもと同じスニーカーだ。伸ばしていた髪は終業式の翌日にちょっと短くした。

 天瀬美穂と会える最後のチャンスだからという理由に加えて、一応、教師の前を気にしなくていい立場になったと思ったから。

(転校したら、しばらくこういう格好で通そうかな。目立つといじめられるか。でもかわいい女子と親しくなるのが第一目的……)

 ふっと面を上げると、ほとんど真正面が女子トイレの出入り口だと気付く。ここに立っているのまずい。場所を少し横に移動しようと、壁から背を離した堂園。

 そのとき、女子トイレから出て来たばかりの女の子――多分、自分と同じ年頃の――に意識が向いた。グレー系の大人しめのワンピースに、黒いソックス。お洒落ポイントと言えそうなのは、肩口にある控えめなフリルぐらい。それでもなお、その女の子は堂園の気を引いた。好みのタイプというより、新しく自分の好みを発見したといった感覚が近い。

 壁に沿って横移動を続けつつも、グレーのワンピースの女子を目で追った。

(あっ)

 彼女の腰の辺りのポケットから何かの布が、恐らくハンカチが落ちる。堂園は反射的に壁から離れた。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る