第282話 本当は偶然とは違うんですけどね

 最早普通の歩くスピードになっていた。ようようのことで広い公園の反対側まで辿り着き、低い石柱とチェーンで区切られた出入り口を抜けて出ようとした。

 その刹那、より強い一陣の風が砂埃を舞い上がらせた。

「うわっ」

 一瞬目を瞑る三森に陣内。公園内でも、叫声がそこかしこで上がる。

 三森の叫び声は一度で終わらなかった。目を開けた瞬間、前が真っ白になった。

「ぶわ! な、何で立て続けに」

 顔全体に張り付いた何かを引き剥がす。砂埃のダメージが小さく残る目を何度も瞬かせながら、両手で持ったその何かがルーズリーフ用の紙一枚だと認識した。

「おいおい、大丈夫か」

 苦笑を含んだ陣内の声は耳に届いていたが、三森はすぐには返事ができなかった。

「どうした? 面白いことでも書いてあったか?」

 紙に目を通している同僚を見て、少し先まで歩いていた陣内が戻って来る。そして紙を覗き込んだ。

「陣内さん。これ」

 読みやすいようにと紙の向きをずらす。そこには誘拐事件をプロットにした推理小説の筋書きらしきものが綴られていた。

「『被害者の子供の心理。家族には嘘をつき、まったく別の場所に出掛けていた。それがために捜査が難航する』か……なんて偶然だ。誘拐の捜査をしている俺達のところに、こんなメモ書きが飛んでくるなんて。落とし物として一応、預かっておくか」

「ええ……それ以上に、真剣に検討してみる値打ちがあるかもしれないですよ、これ」

 三森の言葉に陣内は目を丸くした。だが、続く見解を聞いて、なるほどなとうなずくことになる。

「――そうか。学校か」


             *           *


 思わず、独り言が出た。

「トントン拍子にうまく事が運んだみたいだな」

 テレビのニュース番組が、誘拐事件の発生とその容疑者逮捕、被誘拐者である小学生の無事保護を伝えている。

 先に、その一報をテロップで目にしたときは、思わずガッツポーズをしてしまった。夜中の出来事だった。朝になってより詳しい状況が警察から記者発表され、各社一斉に報じている。

 解決に至る過程は、ワイドショーの方が詳しくやっていた。

 被害に遭った子供が自宅から学校に向かうルートを中心に沿道の施設や店などにある防犯カメラ映像に当たり、不審車両をあぶり出す。さらに犯行時間帯に近辺を走ったタクシー運転手やタクシー会社に協力を求め、カーナビゲーションに残る映像をできる限り提供してもらった結果、子供に声を掛けているところが片隅に映った映像を発見。そこから車種を特定し、同じく防犯カメラ映像を頼りに追跡をしたところナンバープレートこそ改竄されていたが、容疑車両の行き先に関して大まかに分かった。その一帯に絞って聞き込みを掛け、目撃証言を得るとあっという間に車両を見付けて、被害者保護と容疑者逮捕につながったという経過だった。

 容疑者の若い男は一流企業の社員で、動機は身代金目的。ギャンブル好きに歯止めが掛からず、借金を重ねた挙げ句に首が回らなくなり、というパターンだった。計画そのものはほぼ思い付きでやってしまった、杜撰なものらしいが、ナンバープレートの細工の件もあり、その辺りの詳細はまだ分かっていない。

 何はともあれ、無事に解決したのは何よりだ。確証はないけれども、私が書いて神様が飛ばしてくれたあの紙が解決の糸口になったと信じたい。

 三森刑事と陣内刑事は、誘拐事件の解決に功があったと認められるんだろうか。両刑事には前の事件で間接的に迷惑を掛けたことになった、いや今もなっていると思うので、せめてもの穴埋めになればいいとも思う。

 事件が報道されたのは、奇しくも?交流行事の開催が予定されていた当日であった。

 だからといって、じゃあ交流行事をやりましょうとはもちろんなるはずもなく、前日の早朝に延期が正式に通達されていた。私はその旨を電話で天瀬や長谷井らに粛々と伝えておいた。夜中から朝に掛けての誘拐事件解決のニュースを見て、交流行事参加予定だった子達は、延期になった理由を察したんだろうか。

 さて、今日は交流行事がなくなったおかげで、スケジュールがぽっかり空いている。時間があるのなら面談を一人でも多く消化しておきたいくらいだが、そんな急に出て来られる保護者がいるとも思えず、特に動いていない。

 仕事上のやることはあるのでひまというほどではないが、余裕は少しできた。まじで吉見先生と連城先生との三人でどこかに行ってもいいくらいだ。なんてことを考えたその直後、表から微かではあるが、耳に馴染みのある車の音が聞こえてきたような……。

 分かった。これ、吉見先生の車だ。いや、まさかな。

 私は窓を開けて隙間から外の様子を窺った。――私の耳は、いや、岸先生の耳かもしれないか、とにかく正しかった。

 エンジン音がやむのと同時ぐらいに、私は玄関ドアを出て車のある方を見た。

「あっ。岸先生!」

 目が合うと彼女は手を大きく振った。普段目にする吉見先生は白衣を羽織った姿がほとんどなので、ノースリーブの夏らしい格好が新鮮に映る。

 私はとりあえず手を振り返してから近付いていき、「おはようございます、何かあったんですか」と常識的な反応をしてみせた。


 つづく

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