第492話 夢の中では痛みを感じない、のは間違い?

「それでは早速作業に取り掛かるかね?」

 ゼアトスが言った。神内とハイネは、すでに姿を消している。彼らも特定作業に入ったのだろう。

「そんなことを聞いてくるとは、ゼアトスさんは、私達の監視でもするんだろうか?」

「いやいや、監視なんて暇な真似はしないよ。そちらがどのように時間を使うかまでは我々の関知するところではない。いわゆる老婆心で言っている。二人とも頭脳労働で相当に疲労しているに違いない。休んで、回復してから取り組むのが最善の選択だと思うね。へろへろの体調で取り組まれても何ら役に立たず、我らにとっても不利益だ」

 おためごかしに言われなくても、疲労が溜まっている感覚は充分あった。心身共にピークに近い。恐らく天瀨も似たようなものに違いない。

「……いかなる段取りで作業を進めるべきか、方針を決めておくと効率が上がると期待できる。だから休憩を取るのはいいことだと思う。ただ一つ気になるのは、私達は目が覚めて起きている間、特定作業のことを忘れずに検討できるのかと。この点、答えてくれるかな」

「そうそう、それもあった」

 よく気が付いたなという体で、形だけ拍手をしてよこすゼアトス。

「答はイエスでありノーである」

「禅問答は好きじゃない」

「キシ君の質問の表現がよくないからだよ。“私達”と問われれば、今のように答えるしかない。言い換えると、キシ君は起きたあとも覚えていられるが、天瀬さんは夢の中の出来事として受け取ることになる。天瀬さんの立場で、神の存在を実感を伴って信じてもらわれると何かと面倒なのでね」

「えっと、それって私は夢をまた見れば思い出すってことですか」

 天瀬が率直に聞いた。ゼアトスは神様らしい貫禄を見せて、「そうなるように取り計らおう」と力強く答える。神内ほどではないが、ゼアトスも天瀬に対する物腰や態度は、私に対するそれに比べれば若干甘めな気がする。

「分かりました。あと、夢の中の出来事を、目が覚めたあとも本気で信じ込めばどうなるんでしょう?」

「うーん、そこまでは想定しないし、前例も知る限りないはずだから何とも言えないが、非常に強い意志があって、なおかつ、自制を効かせることができるのなら、起きてからも特定作業について覚えていて、思考できるかもしれない。逆に下手をすると、周りから気が触れた人のように扱われる可能性だってある、と警告をしておくよ」

「そうなんですね……答えてくださって、ありがとう」

 そう返事した天瀬は、左手首の内側を右手で触れた。その様子に気付いた私が横目で伺っていると、爪を強く押し付けたり掻いたりしている。ゼアトスに知られたくないようだけれども、さすがに無理があった。

「何をしているんです?」

 案の定、目に留めたゼアトスは即、聞いてきた。

「たいしたことじゃあ……話を聞く内にどきどきして来て、息が上がったように思えたから、ちょっと脈を測ってみようかなって」

「ふむ、脈ねえ。それにしては指の位置を細かく変えているようだ」

 顎をさすりさすり、ゼアトスはわずかに首をかがめて、天瀬の左手首に視線を落とす。

「なかなか見付けられないんです……」

「ふふ。天瀬美穂さん、別に隠さなくてもいいんですよ。止めやしない」

 彼女が何をしようとしているのか、ゼアトスは分かっているようだ。実を言うと、私も途中で天瀨の意図に気が付いていた。できれば自然な形で、ゼアトスと彼女の間に立ち塞がって、壁の役目を果たしたいと思ったんだが、チャンスがなかった。

「どうなるものなのか僕も知らないので、結果を見てみたいとすら思っている。夢の中で自らの腕に爪を使って文字の痕跡を付け、目覚めたあと、同じ場所に文字が残っているかどうか」

「……見抜かれていたんですね」

 天瀬はさばさばした物腰で認めた。そして左の前腕部をさすってから、爪の痕の付き具合を確認するかのように見下ろした。

「夢の中でも痛いことは痛いんですね。初めて確認できました」

「場合によりけりですよ。目覚めた後、痛みに関して記憶に残っていないだけということもある」

 何故か親切に注釈をしたゼアトスは、話題を元に戻してきた。

「どうやら僕が見ていると、判断を下しづらいのかな。別にスパイするつもりはないんだが、気になるのであれば消えてあげよう。そのあと、このまま特定作業に入るか、それとも休息を取るために目を覚ますかは、君達で決めればいい」

 “休息を取るために目を覚ます”とは珍妙な言い回しに聞こえる。ただ、実感としては目覚めることで、心身共にリフレッシュしたい気持ちが強かった。

 と、隣にいる天瀬がいささか慌て気味にゼアトスを呼び止めた。

「私の格好はこのままなのでしょうか」

「ああ、そうか」

 忘れていたという風に、額に片手を当てるゼアトス。

「神内君がやったんだったね。気にする必要はない。今見ている夢でその姿であるというだけで、目が覚めれば普段通りに戻っているよ」

「そうでしたか。だと思っていたんですけど、念のため聞いて、安心しておきたかったんです。ゼアトスさん、色々と教えてくださり、感謝しています。今後もお世話になると思いますが、よろしくお願いします」

 丁寧にお辞儀する天瀬。ついつられて、私もひょこっと頭を下げた。


 つづく

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