第108話 おまえら、これは恋愛とは違うんだぞ

 吉見先生に軽く頭を下げたところへ、後方の席から子供達の囃し立てるような声が飛んできた。

「あれ? 岸先生、今度は吉見先生に乗り換えた?」

「柏木先生が辞めたからって、早過ぎるよー」

 ささやくような調子で会話したのがまずかったか。大人の男女がひそひそ声で言葉を交わしていたら、子供らが(わざと)変な風に受け取ってもしょうがない。

 だからといって、冷やかしを甘んじて受けるつもりはない。後ろへ振り返りながら、がばっと立ち上がり、声を張る。

「こら! おまえら、しょうーもないこと言ってないで、ちょっとくらいは予習しといてくれよ。なんたって、“修学”旅行なんだからな」

 威厳を込めたつもりだったのに、言った直後、効果は薄かったと思い知らされる。

「そんなこと言っていいのー?」

「しょうーもないなんて、強がりでも言ったら、相手の人が傷つくかもだよ」

 なんて声を、あっちやっこちから投げつけられた。つ、疲れる……。子供らが本心から誤解しているのか、それとも故意に曲解しているのかは分からないが、止めさせるのには骨が折れそうだ。

 助けを求めるつもりで、立ったまま、吉見先生を見下ろすと、ちょうど目が合った。「吉見先生、あの」と声を掛けたところで、相手はにこりと微笑んだ。

「大丈夫ですよ、岸先生」

「はい?」

「私は気にしませんから、思う存分、好きなようにご指導ください。受け持ったクラスのことは、ご自身でちゃんとしないと」

「……ですよね~」

 我ながら力の抜けた返しをしたところで、運転席から声が掛かった。

「そろそろ発車時刻になるので、着席をお願いします」

「あ、分かりました。すみません」

 私は運転手に即応してから、改めて子供らに向けて言う。

「いいか、もう、じきに出発だから席に着け。危なくないようにな。それからだ、他人の恋愛を気にしてる暇があったら、自分自身のことに全力を注げよ。気になる相手がいる者は、この旅行中でもかまわん。いい思い出になるように積極的に行動せよ。岸未知夫の名において許す! 以上だ。楽しまないともったいないぞ」

 バスの中は一瞬、しんとなった。が、コンマ数秒後には、わっと歓声が起きた。よかった受けた。半ばやけ気味の訓示?だったが、これで誤解を解消できるのならいい。

 ただ……今の私の話を天瀬が真に受けてその気になって、たとえば長谷井と二人きりで、どこかに勝手に行ってしまう、なんてことになりはしないだろうな。ちょっぴり心配だが、信じてるぞ、未来の嫁。

 一定の納得感を得て、シートに身を沈めた。そこへ、吉見先生がまた話し掛けてくる。

「いいんですか、あんなことまで言って」

「えっと、あんなことというのは、恋愛とか気になる相手とかのくだりですか」

「はい」

「もちろん、無茶する子がいたら叱りますよ。でもまあ、修学旅行をいい思い出にしてもらいたいって気持ちの方が上回ってるんで。子供達が必要以上にブレーキを踏まないよう、発破を掛けたつもりです。いけなかったかなあ」

「……ま、いいんじゃないでしょうか」

 呆れたのかあきらめたのか、しょうがないわねという風に笑いをこぼす吉見先生。

「私はあくまで一校医に過ぎませんから」


 つづく

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