第91話 子供と大人、女と男で違うよね

 とにかく用事が済んで、出て行く二人をちらと見送り、再び机の書き物に意識を向けようとしたとき。気配を感じて面を起こすと、天瀬一人が戻ってきていた。

「何か忘れ物か?」

 呑気な口ぶりで問うた私に、天瀬は頬を膨らませた。

「忘れてるのは先生の方じゃないの。ほら、昨日の」

「――あ、マークの」

「何、マークって?」

 思わず、マークと口走ってしまった。どうしようもないが「いや、何でもない」とごまかす。天瀬の目付きが不審者を見るそれに近付いてくような……。何か付け加えねば。

「――『天瀬君』と言いそうになったんだよ。まずいと思って止めようとしたけど間に合わずに、『あまーく』になってしまった。それだけだ」

「ふーん。そんなこと気にしなくたっていいのに」

 我ながらよい言い訳を捻り出したぞと自画自賛したい心持ちだったのに、天瀬には響かなかったようだ。残念。

「で、ここで話して大丈夫なのかい?」

「あんまりよくない。けど、廊下には長谷井君、いると思うから……」

 肩越しに職員室前の廊下を気に掛ける風の天瀬。

「じゃ、紙に書いてくれるかな」

 余ったテスト用紙を裏向きにして、鉛筆とともに机に出す。

 ちなみにだけれども、紙はわら半紙だ。この頃の学校ではわら半紙と上質紙が混在しているのが当たり前だったのか、自分自身も小学生のとき、両方の紙ともよく使った覚えがある。

 それはさておき、私はちょっと表現を考えてから紙に鉛筆で、「長谷井君に対する好感度は前よりも上がっている?」と書いた。それを、相手が読みやすいよう、向きを換えて天瀬に見せる。

 彼女は一瞬、目を見開いたが、すぐに鉛筆を取って、「変化ない」と回答した。続けて、「何で聞くの?」と書き足した。

 私はまた少し考えて、「同級生の男子に大人と同じボディガードを期待しちゃだめだぞ」と書いた。天瀬の表情を窺う。すると、

「そうだよね」

 とため息交じりに声に出して答えた。おっ、この反応は、本気で長谷井に身体を張ってくれることを望んでいたんだろうか。

「期待するのは自分も相手も大人になってからだな。それまで待てるだろ? 子供のときは子供でいいんだ」

 将来の旦那としては複雑な気持ちになるが、ここは担任教師らしく言っておこう。

「分かってる」

 多少すねたような口調で応じる天瀬。結局、声に出してのやり取りになっていた。

「ただ、私、余計なこと言ったかもしれない。長谷井君のいる前で、『何かピンチになったとき、岸先生みたいに守ってくれる人が理想だわ』みたいなこと」

 なるほど。って、天瀬は、長谷井の方も自分を好きでいるという自信と自覚はあるのね。これも、女の子の方がませている、というやつか。

「深刻に思わなくたっていいんじゃないか。機会があれば言ってやればいい。『あのときの話は、大人になってからだからね』とでも」

「うん。そうする」

 こくりと頷いた天瀬は、表情をコロッと一変させ「話はおしまい?」と聞いてきた。

「ううん。えっと、先生お大事にっ」

 最後に何か言わなくちゃと思ったのか、取って付けたようなお見舞いを残し、きびすを返す天瀬。そのまま出て行くものと思ったら、もう一度きびすを返してぐるっと回る。

「ん?」


 つづく

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