第90話 質問取り違えちゃった

「トレーニングねえ」

 ただでさえ強い彼女にこれ以上握力を鍛えられると、クラブ活動でやることが限られてきそうだ。心配になってくる。前々から強くリクエストしているらしい相撲なんかだと、相手をぶん投げて床にたたき付けてしまうんじゃないだろうか。

「そうだ、岸先生。天瀬さんの様子はどうですか」

 急に天瀬のことを持ち出され、どぎまぎした。一瞬、新婚ほやほやで嫁との仲を尋ねられた気分になったのだ。

 ちなみにだが、天瀬の委員会活動は第一整理委員会ではなく、代表委員会である。副委員長の彼女は、委員長の長谷井とともに参加している。基本的に五、六年生一学期の学級員は自動的に代表委員会に入るシステムになっているらしい。

 さて、雪島が新婚だの嫁だのの話を持ち出すことは絶対にあり得ない。落ち着いて考え直し、一週間前の一件だなと当たりを付けた。靴下脱がしレスリングで天瀬をやり込めたのを、雪島なりに気にしていたと見える。

「どうって、もう別に怒ってはないぞ」

 だから安心しろと続けようとしたが、雪島が訝しげに首を捻ったので、口をつぐむ。

「怒ってるとか怒ってないとかって? あ、この前のクラブ授業の話じゃないですよー、嫌だわ先生」

 図星だったので、また反応が遅れ気味になる。

「クラブのあれの話じゃあないのなら、何だ?」

「え、何って、聞き返しますか? 先生、とぼけてないですか」

「とぼけてないよ」

 やばい。ぴんと来てしかるべきなんだろうが、さっぱり分からない。

「天瀬さんを守ったと聞きました」

「あ」

 ああ、そのことか。なるほど、自分としてはとうに終わった事件であり、早く忘れたいぐらいなのだが、第三者からすればまだまだホットなトピックスなんだろう。

「格好いいところ、見たかったな」

「格好いいかどうかはさておき、ある程度予測できたことだから、あれくらいなら何とかできる」

「ううん、騎士みたい。これがほんとの騎士先生だねって」

「――その洒落を言いたかっただけだな」

 脱力気味の笑みを浮かべた私だったが、雪島はちょっと考える間を取ってから答える。

「うーん、でもないです。岸先生が騎士みたいに守ってくれて、天瀬さん、岸先生のことが好きになったんじゃないかなって思って」

「うん? 何のことやら分からん」

「天瀬さんが岸先生に行けば、長谷井君がフリーになる」

 そこまで言うと雪島は唐突に話を打ち切り、缶潰しに復帰した。身体ごと向きを換えたため、今の私にはこの子の背中しか見えない。缶を潰してぱこん、転がしてころんと音がした。

「……」

 何か言葉を掛けようかとも考えたが、やめにした。とりあえず、周りには他にも児童が大勢いるし、ふさわしくない。

 私が外見から感じ取る以上に、雪島も女の子なんだなと思った。岸先生が復活したときにはこのことをぜひ認識しておいて欲しいなあ。担任以外の子にまで目を配るのは大変だろうけど。


 授業が済んで職員室で記録を付けていると、長谷井と天瀬がやって来た。代表委員会で決まったことや、話し合われたことを担任に報告するのが決まりになっているようだ。児童が知らせに来なくても、代表委員会担当の教師から報告があるはずだから、これは学級委員二人にとって報告するところまでが委員会活動だってことだな。

「ご苦労さん。集中してやれたか」

 最前の雪島の発言が頭に残っていたせいか、二人にそんなことを聞いてしまった。好きな者同士で委員会に参加したら気が散るのではないか、という意味なんだが。

「え? 集中できてたと思いますけど」

 案の定、長谷井にも天瀬にも怪訝な顔をされた。


 つづく

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