第274話 自ら作せる災いも猶違くべし

 大丈夫かな? 脅かすつもりは毛頭ない。私の思惑はただ、この件をだしにしてでも、天瀬には今一度身の回りに注意を払ってもらいたいのだ。だから予定になかったことまで踏み込んだ。さすがに誘拐まで匂わすのはやめておいたけれども。

「天瀬さん? 大丈夫かい?」

「う、うん。急に思い出したから、ちょっとどきどきしちゃった。それだけ。もう平気」

 そう答える声が早口で時折つっかえる。うーん、注意喚起にはなったようだが、刺激がやや強すぎた。反省しなければいけない。だが、総合的に見て、これが天瀬にとってプラスに働くものと信じたい。

「ともかく、延期や中止になる可能性が結構あるから、そのつもりでいて欲しいんだ。ああ、他の子、長谷井君達にはもう伝えてある。……だから、もし交流行事がなくなったら、当日は暇だろうから、長谷井君と遊びに行くなんて手もあるぞ」

 天瀬の動揺を抑えようと思うあまり、我ながら変なことを言ってしまった。天瀬の将来の婚約者としても、担任教師としても、彼女にクラスメートとのデートを勧めるなんて。

「あの、先生。正式に判断が出るのはいつですか」

「ああ、すまないが、それも未定なんだ。このまま前日まで電話がなかった、とりあえず延期になったと思っていい。やっぱり行うって場合は、決まり次第伝えるから。中途半端なことをして、本当に悪いな」

「いいよ。電話、待ってる」

 通話が終わって、送受器を置いて、ため息が長く出た。精神的に疲れる電話だった。


 アパートの部屋に戻って、しばらくは細々とした積み残しの仕事の処理と、個人面談の資料作りやそのチェックに時間を費やした。窓の外の色味が夕焼けを感じさせる頃合いになって、ぼちぼち食事の準備をしなければと、腰を上げる。

 冷蔵庫を開けると、だいぶ淋しくなっていた。明日か明後日には買い物に行かなければならない。買わねばならない物のメモを取って、ようやく食事作りがスタート。と言っても、手の込んだ物を作るつもりも食材もなく、お湯か電子レンジで温めれば仕上がる物ばかりだ。

 温まるのを待つ間、今後のことを考えた。

 喫緊のこととして一番知りたいのは、交流行事の延期・中止が、天瀬にとって危機となり得るのかどうか。

 交流行事が延期になったとしたら、過去の改変が起きたと言えるのは間違いない。以前、六谷と交わした会話で、六谷が経験した一度目の二〇〇四年において交流行事が行われたのは確かだ。参加したわけではない彼はよく覚えていないと言っていたが、延期や中止になっていたのならさすがに記憶に残るだろうし、私に言ってくれるはず。

 もう一つ、六谷の記憶頼みな件として、誘拐事件がある。過去の改変によって天瀬が巻き込まれるとしたら、現状ではこの誘拐事件が一番ありそうで恐ろしい。誘拐が起きていると仮定して、そのことを覚えているかどうか六谷に聞いてみるのだ。誘拐の被害者が富谷第一小の児童であれば、交流行事の延期を申し入れてきた理由は決まりだと思う。ただし、一度目の二〇〇四年において交流行事は無事に催されたのだから、誘拐自体は過去の改変によるものとなり、天瀬を含めた他の児童が後々被害に遭う危険性を、一層強く意識せねばならなくなる。

 未来だ過去だ現代だと、出来事の前後関係がややこしく、こんがらがりそうだ。そんな状態で、頭の中だけで考えていたせいか、食事の準備中だったことを忘れていた。

 電子レンジはとうにタイマーが切れ、湯煎用に沸かしたお湯は、鍋の中でなくなりかけていた。

 あっと声を上げてコンロの火を消す。危なかった。もうしばらく漫然と考え込んでいたら、失火していたかもしれない。こんなつまらないことで火事を起こして、過去の改変を自らしたくはない。気持ちを切り替え、食事に集中することにした。


 急いで食べ終え、急いで後片付けを済ませると、固定電話の前に座り込んだ。

 午後七時を回ったところ。非常識な時間帯ではないが、教師が受け持ちの児童の家に電話するには、何らかの理由が欲しい。適当に「成績のことでちょっと」とか「学校での生活態度が」なんていうような嘘の理由にしたら、親御さんとのやり取りでぼろが出そうだし、六谷だっていい気はしまい。へたを打つと、協力してくれなくなるかもしれない。

 そこで思い付いた、というか思い出したのが、天瀬の通知表の一件。通知表の判子のミスが他の児童にも起きていないかを確かめるという名目でなら、電話してよかろう。

 私は手帳に改めてメモしておいた六谷の自宅番号に電話を掛けた。できれば六谷本人が直に出て欲しいと念じつつ。

「はい、もしもし」

 念じたのが通じたか、六谷の声が流れて来た。

「六谷君? 僕だ。担任の岸」

「分かってるよ。声で分かる」

「今、お母さんやお父さんは?」

「いるけど。代われっての?」

「いや、逆だ。例の話を少ししたいんだが、時間を取れるかな。無理ならそちらから掛け直してくれてもいい」

「簡単に言わないでよ、先生。子供が掛け直すのって難しいんだ。相手は誰だって根掘り葉掘り聞かれることあるし、電話代のことを言われるし」


 つづく

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