第156話 思ってたのと違うが実践的

 まさか、児童からテストされるとは思いも寄らなかった。しかも修学旅行先で。だがまあ、真面目に考えてみよう。

 会話の流れから推測するに、「先手必勝」とか、「相手を傷つけず、自分も傷つけられずに制する」といった戦い方の話ではあるまい。身を守る、つまり護身する際の心構えってことだろう。

「そりゃまあ……生き延びること、かな。相手を倒すことが目標ではなく、とにかく生き延びる。無傷が望ましいけど」

「はい、私も道場で非常に近い考え方を教わりました。だから危険な目に遭いそうなときは、危険に近付かない、逃げる。逃げられないときは大声を上げて周りに助けを求める。これが基本の心得」

「えー、想像していたのとだいぶ違うなぁ」

 長谷井が少々がっかりした風に述べる。それはそれで理解できる。この年頃の男子児童が護身術と聞けば、物語に登場する合気道やカンフー、気功術の達人ように周りを取り囲んだ相手をばったばったとなぎ倒すシーンを、真っ先にイメージするんじゃないだろうか。

 期待をそういう方向へ膨らませていたところへ、逃げるとか助けを求めるとかを教えとして言われたら、がっかりして当たり前だわな。

 だが、教師の立場から言うと、雪島の教えは見事に合致している。これならどんどん教えてやってくれていいぞ。

「もちろん、デート中に男の子がさっと逃げてしまうのも困りもの。かよわい女子を連れているときは、なるべくがんばって戦うように」

 え。安心しかけた途端に、なんつーことを言うのだ。口を挟もうとした私だったが、その寸前で雪島の表情が視界に入り、意図を理解した。

 雪島は恐らく、長谷井を試している。もしくは、長谷井が天瀬とどれほど近しいかを計測しようとしているのだ。

 今度は私・貴志道郎の立場で言うと、長谷井へ「天瀬にはちゃんとした将来の相手がいるから、今の内からあきらめて、他の女の子を探した方がいいぞ」とアドバイスを送ってやりたいが、そいつは無理な相談なので。

「あんまり真に受けて、無茶するなよ、長谷井君」

「――分かっていますよ、岸先生」

 渋い表情になっていた長谷井が、明るい顔に変化し、口調も明るく言った。

「いくらがんばったって、勝てない相手はいる。特に子供は、腕力ではかなわないことばかり。僕も天瀬さん達も、逃げるが勝ちの精神を第一に身に付けておくのが、一番いいんでしょうね」

 分かっているじゃないか。感心する私の目の前で、長谷井は天瀬に「天瀬さんも自力で逃げられるようにしといて」と耳打ちした。距離が近い~。

「さて、ここからが実技になるわ」

 雪島が言った。

「どうしても逃げられないとき、言い換えると相手につかまりそう、あるいはつかまったときはどうすればいいか。よくある構図だけど、後ろからしがみつかれた場合を例にしてみると」

 雪島は私を含めた聞き手四人を端から順に眺め、私に目を合わせてきた。立ち上がりながら話を続ける。

「岸先生、お手伝いを」

「うん?」

 つられて腰を上げる。

 と、雪島は直立姿勢のまま、私の方に背を向けた。他の三人はその様子を右側から見ている格好である。

「後ろからしがみついてきてください。一応……半分ぐらいの力で」

「待った。そこまで本格的にやるのなら、襲う役も女性の方がよいだろう」

「いえ。男の人を撃退してこそ、護身術の本領が分かり易く見せられるでしょ?」

「その理屈は分かるが……」

 正直言って、色々とやかましいご時世だから、やむを得ない場合を除いて、女児童にしがみつくなんて行為は避けたいのだが。

「長谷井君か六谷君に技を教えて、それを先生が受けるというのはどうだ」

「しょうがないですね。では、より小柄な人の方が説得力があると思うので、六谷君にお願いします」

 指名された六谷は「いいよ」と気軽に受けた。さっきまで雪島の立っていた場所に立つ。こうして見ると、六谷は雪島や天瀬よりもさらに小柄だと分かる。

「先生は背後から両腕を広げ、六谷君の身体を腕ごとがっしり締め付けるつもりで」

「――こうか?」

 がっしりと言われたが、もちろん力は入れずに形だけする。身長差があるので、中腰になるのだが、あまり長時間やられるとつらいかもしれない。

「もっと絞める。でないと技の意味がありませんから」

 しょうがない。力を段々と入れつつ、六谷に聞いた。

「大丈夫か」

「全然平気。痛くなったら言うよ」

「そうか」

 こんな調子でやってみて、結構強めに絞めることに。痛くはないにしても、動けないだろう。

「実は順序が逆になってしまったけれども、ここまで絞められたら直接反撃するしかありません。はい、六谷君、右足を前に振りかぶって、思い切り後ろに振る」

「え、おい、ちょい待て」

 皆まで言えない内に、すねに痛みが走った。が、あまりの痛撃に声が出ない。

「――っ~!」

 ってな感じが一番近いか。とにかく痛い。

 当然、腕による枷は解いてしまい、六谷との間に距離ができている。しかもここまですねにかかとをクリーンヒットされたら、すぐには追い掛けられないかもしれない。

「先生、大丈夫?」

 六谷だけでなく、天瀬からも心配する声を掛けられた。雪島は涼しい顔をして、「どうですか先生。効き目あるでしょ?」と感想を求めてくる。

「ありすぎだ、いててて。始めるならそうと言ってくれって」


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る