第157話 見込み違いからの脱衣違い

「ですが、不意を突くのが真骨頂ですから」

 事前予告を求めた私に対し、雪島“先生”は不服そうに言い、軽く頬を膨らませた。

「それはそうなんだろうけど」

 畳に腰を下ろし、すねをさする。あざが出て来たんじゃあるまいな。子供らの前で見せて、もしあざができていたら色々と気まずいので我慢するが。

 雪島の解説は続く。

「すねに当てるのが自信がない、あるいは空振りしてしまったときは、相手のつま先を思い切り踏んづける。それかもしくは、後頭部を思い切り振って、相手の鼻っ柱に食らわせる」

 それらを食らうのは遠慮するぞ。明日、動けなくなったら非常に困る。幸い、雪島はその場で、かかとを使ってどんと踏みならしただけだった。

「では続いて、今まさにしがみつかれたというタイミングではどうするか。両腕を万歳のポーズにすると同時に、前に力強く踏み出す」

 今度はしがみつく動作をして、六谷の身体に触れたタイミングで、今し方雪島が説明した動作を、六谷が行う。

 すると、私の腕は簡単に開かれてしまい、六谷はすんなりと逃げ出せた。

「おお」

 長谷井が感心して声を上げる。天瀬も手を叩いていた。

「これは使えるかもしれないな」

 私の感想に、雪島は「でしょう?」とやっと嬉しげに笑顔で言った。が、すぐさまその表情を引っ込める。

「さらにもう一つ、今のバリエーションがあって、今度は前が行き止まりの場面を思い描いてください」

 私はみたび、六谷を後ろからつかまえた。痛みは弱いながらもじんじん続いているが、多分大丈夫だろう。

「六谷君はさっきと同じように万歳しながら、今度は身体を真下に沈めるの」

「こう、か?」

 実演する六谷。私の腕の輪の中から、姿が消える。

「そのまま、相手が大きく足を開いてるようだったら、その股の間を抜けて。無理なら、右か左、どちらか逃げられそうな側を抜ける」

「どっちか判断できないときは?」

 天瀬がすかさず質問した。雪島は少しだけ考える間を取り、

「その場合は相手から見て左側を選んで逃げるのがいいかも」

「ふうん。どうして?」

「まず、日本人が相手なら左は利き手じゃない可能性が多少高い。次に、人間は意識しない動きの中でなら、心臓を守ろうとする動作を取りやすいというから、今みたいなとっさの場合、左腕は心臓をガードするのに使うことが多いと思うの」

「へえ」

「あくまでも可能性がちょっぴり高いんじゃないかって程度の話だけどね。それに、利き腕に関連して、逆の見方もできるのが困りもの」

 どういういうことだ。

「やはり人間の習性として、脇を開く動作をすると身体の芯がぶれ易くなる。だからもし万が一だけど、相手が銃を持っていたのなら、逃げる方向は、銃を持っている手の方へ広がりながら遠ざかる」

 ぱっとすぐには想像できなくて、小首を傾げる。

 すると雪島は、右手をピストルの形にした。

「こういうことです。まず左に逃げてください、先生」

 “銃口”を私に向けながら言う。私は指示された通りに、斜め左に数歩進んでみた。

「そちらに逃げると、私はここに立ったまま腕だけ左に振ることで、脇を締める格好になります。これで狙いを付け易くなる」

 確かに、しっかり狙えそうなポーズになっている。

「今度は右に逃げて」

「おう」

 とっとこと真右横に移動し、そこからまた逃げる風に遠ざかってみる。

「右の方角に逃げられると、さっきとは逆に脇がこう開きます。身体ごと向きを換えないで、このまま撃とうとしても狙いを定めづらいんです」

 狙われる側ではあったが、何となく感覚的に理解できた。それにしても雪島、今の話はどこからどう聞いてもレスリング技術の話じゃないな。護身術の道場に知り合いでもいるのかな。

「ためにはなった。でも、二丁拳銃の奴に狙われたら、どう逃げよう」

 緊張した空気をほぐしたいのか、長谷井が言った。雪島は笑みを見せながら、

「そんな輩はまだ日本にはまずいないし、両手が拳銃で塞がっていると夜道、女性に襲いかかるには適していないから大丈夫」

 と答えた。それから、ふっ、と天瀬に視線を向ける。

「ところで護身術を教えた代わりにと言ってはなんなんだけど」

「何?」

「天瀬さん、決着を付けない?」

 おお? まさか、長谷井を巡っての恋の鞘当て状態から、一気に斬り合うつもりか、雪島? 大胆だな。

 と思ったんだが、次の彼女の台詞で、ちょっと早合点だったと分かる。

「以前、引き分けに終わった、靴下脱がしレスリングの」


 ははあ……まさかの靴下脱がし再戦要求とは。

 決着戦を挑まれた天瀬は、最初こそやる気を見せた。実力では恐らく圧倒的に不利だろうに、腕をぶす仕種をしたぐらいだ。よっぽど、恥ずかしい思いをさせられたことが気に掛かっているのだろうか。

 だけど、不意にそのやる気が消える。長谷井の存在を意識したのか、彼の顔を瞬間的にちらっと見たかと思うと、天瀬は着ている服の首回りの辺りを指でわずかに引っ張った。

「今からだと、また汗かいちゃう。他の日にしない?」

「汗をかいたらもう一度、お風呂に……入れないんですか、岸先生?」

 雪島と天瀬がこちらを振り向く。

「そこまでは知らないなあ。頼めば入れるとは思うが、まあ、明日のこともあるのだから先生からすれば、今はやめておきなさい、だな」

 雪島の方に焦点を当てて、そう答えておいた。


 つづく

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