第498話 本気とは違うのならそれでいい

 そう、杉野倉氏のことである。前から多少気になってはいたのだが、スカウト話そのものは基本的に天瀬家からは離れた件だとも言える訳で、特に確かめずに済ませていた。ちょうどいい機会だから、この際聞いておこう。

「そのことでなら一度、お電話をいただきましたよ。よい子を紹介してくださりありがとうという感謝の言葉に続いて、うちの娘にも再度のアプローチを掛けてきました」

「え?」

 まだあきらめていなかったか、杉野倉。天瀬を高く買ってくれていることは、私自身、嬉しくも誇らしいけれど、彼女の運命が変わるような事態はやはり避けねばなるまい。

「多分に冗談めかしてですよ。刑事の娘さんと偽姉妹ユニットはどうですかと持ち掛けてくるくらいですから」

 私の真顔かつびっくり顔がおかしかったのか、手のひらで口を隠しながら季子さんは笑った。

「それじゃあ話を受けてはいないんですね」

「もちろんです」

 その返答にほっとしたところで、今度は季子さんの方から“見守り”のことを切り出してきた。独り暮らし状態の天瀬の様子を見に行くことについては、別個に時間を取って話を詰める。

「この度は私事でお手数をお掛けすることになり、大変申し訳ございません」

「固い挨拶は抜きで。時間も限られています。まず、万が一にも緊急事態になったとき、どこへ連絡をすればいいのかを伺っておきたいのですが。自然災害の可能性、ゼロではありませんから」

「そうでしたわ。ついこの間のこともありますし」

 季子さんから連絡先の電話番号に加え、住所まで聞いてメモを取る。確認のため復唱したあと、次に気になっている食事について尋ねてみた。

「もちろん、私の方で用意しておきます。美穂もあの年齢にしては結構作れる方だと思います」

 そうだった。天瀬が料理をできること、そして手際がいいことは私自身、経験して知っている。

「ですので、食べる物については大丈夫だと思うのですが、食事そのものが、もしかすると……」

 うん? 何のことを言っているのか、すぐには理解できない。食べる物と食事を分けて表現しているけれども、その違いが分からないからだ。

 私の顔にクエスチョンマークでも浮かんでいたのか、季子さんは補足説明を始めた。

「夕食を一人で食べるのをさみしがるかしらと、ふと心配になって。初めてではないんですよ。父親が単身赴任して以後でも、私が仕事で遅くなることが稀にありましたから。ですが、連日というのは確か初めてです」

 なるほど、それはさみしがるかもしれない。ただ、そんな話をされても、私の方から「では一緒に食卓を囲むようにします」とは言い出せない訳で。基本は、あくまでも先方の希望に沿うようにするまでだ。

「そのような事情ですから、もしもあの子が『さみしいから先生と一緒に食べたい』と言い出すようでしたら、なるべく叶えてやっていただけませんでしょうか」

「かまいませんよ。お安いご用です」

 渡りに舟……とは違うか。願ったり叶ったり? うーん、何でもいいや。前もって保護者からの承諾を得たことで、だいぶ気持ちが軽くなる。無論、責任が重いのは変わりがないのだが。

「他に何か注意点はないでしょうか」

「特には……ああ、夜更かしが心配かもしれません。親の言うことを守る子なんですけれど、最近、夜更かしをする場合が稀にありまして、少し気になっていたんです」

 そういう生活面に関わる話なら、面談の中に含んでくれればよかったものを。私は内心苦笑を覚えつつ、表情は真顔を保ち、天瀬の気持ちを想像して応えた。

「小学生高学年で、夏休みともなれば、多少の夜更かしは致し方ない面もあるとは思いますが、そんなに気になさるほどなんですか」

「ドラマにはまってしまっているみたいで、夜の十時に始まると終わるのは十一時前、それから入浴や寝る仕度に取り掛かるので、下手をすると日付が変わることもあります」

「ははあ、日を跨ぐとなったら、少々心配でしょうね」

 この時代のドラマで女子が見そうな物って何だっけ。二〇〇四年の私本来の記憶を思い出そうとしたけれども、ぴんと来ない。“岸先生”になってからの記憶を元に考えてみると、最近耳に付いているヒット曲がある。平井堅ひらいけんの曲だ。あれが主題歌のドラマがあった気がする。

 それはさておくとして、「録画ではだめなんですか」と当然の線を聞いてみた。

「だめみたいです。続きが気になって、すぐにでも見たいと。注意を促しても、聞かなくて」

「それじゃ、この機会に私の方から言ってみましょうか。夜更かししないように見に行くというのは、現実的ではありませんから、その代わりということで」

「お願いします。あの子ったら、岸先生に助けていただいて以来、ことあるごとに先生の話題を口にしますし、信じている様子がはっきり分かります。先ほど触れた食事についても、同席してもらえたらきっと喜ぶと」

「……」

 胸熱とはこのことか。いや、実際に熱く感じたのは目の奥だが。じーんとしてしまったじゃないか。


 つづく

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