第497話 小さな子供とは違う? いやいやそんなことは

 天瀬の面談に関しても、他の子達よりも優先して万全の状態を整えていた。だから「だめじゃない」と即答すればいいものを、勿体をつけたのは、教師としてのバランス感覚が出た所以だ。表向きは特別扱いしていないことをアピールしておかないと、巡り巡ってどこでどう噂になるか分からないからな。

「今からでも調整すればどうにかなる、と思う。天瀬さんのお母さんじゃなく天瀬さんが電話してきたのは、今、お母さんは出掛けているからなんだね? 出発の準備のために」

「うん、そう。留守にするから、その間、私が大丈夫なように買い物」

「あれ? 着いていかないのかい?」

「それはそうよ、先生。重病じゃないんだから。それに夏休みには私、友達と約束していることがあるもの」

 私が天瀬のお父さんの立場だったら、ちょっと淋しい、かも。というか、小六の娘を独り暮らし状態におくのって危ないと思わないのだろうか。

「一人で大丈夫なのかな。ちょっと心配だ」

「あのー、そのことでもお願いがあるんです。岸先生に様子を見に来ていただくことはできないかしらって言ってるんです、お母さんてば。私はもう小さな子供じゃないんだから、そこまで心配しなくていいのにね」

「……様子を見にって、どういう具合にすればいいんだろうか」

 これまた特別扱いになってしまいそうだと懸念を覚える一方で、頼りにされているのなら応えたいとも強く思う。

「あ、話聞いてくれるの先生?」

「そりゃもちろん聞くさ」

「てっきり、即座にお断りされるかと思ってたわ。ありがとう、先生」

 事実、最初からあきらめモードだったのだろう、つい先ほどまでとはトーンが違う。今は天瀬の声が凄く弾んでいるのがよく伝わってくる。

「礼はまだ早いだろ。いいから詳しく話してみて」

「詳しくと言われても、昨日の今日だし、まだはっきり決まってないことばかりなんですけどね。四日目辺りには親戚の伯母さんが来てくれる見込みなんだって。つまり、最初の三日間、夕方頃に家庭訪問みたいな感じで来てもらえたら、あの家には大人が出入りしているんだなって周りに分かる。それが防犯になる、って」

「そういうことか」

 近所だから、時折様子を見に行く分には何ら問題なかろう。いっそ、往復の手間が間怠っこしいから、泊まり込みで見てやりたいくらいだ。実際に付きっきりとなると、男の私では難しいだろうがな。かといって、今から頼んで、担任でもない児童のために泊まり込みを引き受けてくれる女性教師に心当たりがある訳でもなし。ここは見回るだけで妥協せねば。いや、それよりも。

「今ふと思い付いたんだが、友達の家にお泊まりは? 三日間通しては無理でもその内の一日くらいなら」

 閃いたことをよく検討せずに聞いてみた。

「急すぎるよ。友達に迷惑掛けたくないし」

「迷惑掛けるのは、担任ならかまわないってことだな、ははは」

「そ、それはお母さんや私が先生を信じているからで」

「分かった、悪かった。ちょっとからかったてみただけだ。引き受けるよ」

「本当? うれしい、ありがとうっ」

 彼女の声の弾みっぷりが、さらにまた一段上がる。さすがに女の子の黄色い声で叫ばれると、耳がキンとなりそうだ。

「そんな興奮気味に喜ぶことじゃないだろうに」

「だって嬉しいし、お母さんも助かるもん。岸先生の家の方に足を向けられない」

「分かった分かった。細かい話は、お母さんが戻ってきて、落ち着いてからだな。面談の時間も決めなくちゃいけないし、そちらからまた電話をしてくれるか。そうだな……十時十五分までなら家にいるから。それ以降になるようだったら、学校の方に掛けてもらって」

「うん。伝えとく」

 こうして慌ただしい朝の電話二本目が終了した。

 天瀬家からの再度の電話は思っていたよりも早く、八時半過ぎには掛かってきて、とりあえず面談は今日の午後二時四十五分からに決めた。母親不在中の見守りに関しては、面談のときに詰めることになった。


 ひいき目なし、公平に判定して、小六の天瀬美穂はクラスで成績優秀な方だ。学校生活の面を見ても教師の手を煩わせることはほとんどない。私が見てきた期間内の出来事で言うと、修学旅行中に知らない大人と行動をともにしたのが唯一にして大きなマイナスに当たるかもしれない。ただ、あれは親切心に端を発する行為だし、いつでも教師と連絡を取れる端末を持たせた事による安心感故に、普段よりも大胆に振る舞ったとも考えられる。そもそもあの件は一応、注意をして決着したことだし、蒸し返すのはほんの少しでよかろう……。

 何が言いたいかというと、季子さん――天瀬母――との面談は入念な準備が意味をなさないくらい、テンポよく進んだってこと。

 もちろん、季子さんの側にこのあとの予定が詰まっているという事情があると、私自身承知しているため、気持ち、スピードアップを心掛けてはいたのだが、それにしても早い。

 時間にまだいくらか余裕があるので、私は予備的に用意していた話題を出した。

「そういえば、あの芸能事務所の人は、何か言ってきましたか?」


 つづく

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