第332話 スマホと違って
私の話を一応受け入れてくれたようだが、何かしらまだ物言いたげにしている六谷母。時間には余裕があるので、水を向けてみた。
「どうしました? 心残りがあるみたいに見受けられますか」
「はい、あの、こんな非科学的なことまで言うと先生はお笑いになるかと、胸の内に仕舞っていたんですが、やはり気になるので」
「どうぞどうぞ。笑いません」
念のため、口の内側を軽く噛んで待機する。どんな突拍子もないことを言われようが、笑ってしまわぬように。
「一昨日の夜でしたか、あの子が寝室に来て、寝られないから一緒に寝て欲しいと言い出しまして。六年になってからは初めてのことだったので少し驚きましたが、一緒に寝てあげたんです。程なくしてすやすやと寝息を立てて眠りました」
それ自体は特におかしくも珍しくもない。
「朝になって、あの子に眠れなかったのには何かわけがあったのかと聞いたら、悪夢を見たって」
「悪夢?」
「ええ。どんな悪夢だったのかを尋ねると、ボロ布を被った悪魔のような死神のような男が現れて、大きな鎌の刃を自分の首に当ててくるとか何とか」
「悪魔か死神……」
「それで私、思い出したのは、さらに遡って何日か前の夜に、直己の寝室を覗くと、ベッドの上で短い呻き声を発しているのを聞いていたんです。そのときはすぐに収まったのでいびきを聞き違えでもしたのかしらと受け流していたのですけれど。気になったものだから改めてあの子に聞いたら、同じような夢を三度くらい見ていると答が返ってきまして」
同じ悪夢を三回か……。素人考えになるが、その悪夢は現実の出来事の反映なのだろうか? だとしたらよっぽど強烈で辛い出来事に見舞われたと解釈すべきところだが。
六谷母も似たようなことを考えたらしく、
「時間をおいて、いじめに遭ってないか聞いてみましたが、けろっとした様子で全然と答えますし、他に怖い目に遭った雰囲気もまったくありません」
と付け加えてきた。子供の一番近くに、一番長くいるであろう母親の言葉なのだから、怖い目に遭ってないようだというその感覚は信じてよいだろう。
「学校でのいじめはないと思います。修学旅行では中心的存在になって、大勢と遊んでいたくらいですし」
「その点は信頼しています。ただ、念のため、注意して見てもらえませんか」
「分かりました」
即答した私は、心の中では別のことを決めていた。なるべく早く六谷とコンタクトを取って、悪夢の内容を詳しく聞かねばならない、と。
もしかすると、私の夢に神内が現れるのと同じ現象があの子にも起きているのかもしれない。そう考えられたからだ。
――コンタクトを取るのは簡単だと思っていたけれども、意外にも難しい部分があると気付く。
学校があるときなら一声掛ければ済むのだが、現在は夏休み中。
ならば電話一本入れればいいではないかと思われるだろうが、個人面談を行った日のすぐあとに、担任教師から六谷に電話をするのはあまり好ましくないだろう。何ごとかと母親が気にして、六谷あるいは私に対して何やかやと聞いてくる可能性が高い。かといって、六谷の母親に伝言を託すのはもっと無謀というもの。定期的に連絡をよこすよう、六谷と取り決めを交わしておくべきだったと後悔したが、今言っても始まらない。
私は以上のような思考を短い間に辿ったのちに、現状で取れる恐らく最善の策を採っていた。
「――そうだ、六谷君のお母さん」
面談が済んで教室の出入り口に向かう彼女の背中に声を掛け、呼び止める。何でしょう?と振り返るのが気配で分かったが、こちらはこちらで準備が必要なので、顔を向ける余裕がない。デスクの引き出しを開けて、適当な物を探す。おあつらえ向きに新品のノートが見付かった。いわゆる学習帳ってやつで、学校行事における何らかの景品の余りだと思われる。ノートを取り出し、中程のページに走り書きのメモを挟む。内容は“六谷君の落とし物?”とした。これを見て、六谷から電話をしてくれることを祈る。
手早く段取りを済ませ、面を上げて六谷母へ話し続けた。
「六谷君の物じゃないかというノートが、届いていたんでした。できればお持ちなってくれませんか」
「あらまあ」
あの子ったら……と口中で呟くのが聞こえた。近付いてくるのに合わせて、こちらからも距離を詰める。そのまま手渡して、すんなり持って行ってくれれば楽でいいんだが。
「これなんですが」
「どうもすみません。――でも、名前も何も書いてありませんのね?」
案の定、少し訝る様子を見せる六谷母。私は用意していた思い付きの台詞をつないだ。
「はい、私もそこには気付いてたんですが、これとそっくりのノートを持っているのを見たという子達がいまして……多分間違いないだろうということで」
「そうでしたの。それじゃ持ち帰って、あの子に聞いてみます」
「よろしくお願いします」
スマホでノートを写真に収めて、自宅にいるであろう六谷にその写真を送信、確認させるという手段を執られたらどうしようという軽い不安はあったが、どうやら杞憂で済んだようだ。あ、二〇〇四年の時点では、スマートフォンはまだ日本に入って来ていないか、入ったばかりで、ほとんど使われていなかったはず。この時代ならケータイの写メだっけか? それはさておき、ノートをメモごと持って帰ってくれればいい。
つづく
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