第153話 昨日とは違うゲーム、ない?

「あ、あの、体温計、借りっぱなしで問題ないんでしょうか」

「他にも持って来ていますから。そんなことを気にするくらいなら、もっとご自身の身体について気になさってください。いいですね?」

「はい……」

 びしっと言われてしまった。まるで母親から注意をくらったときのようだ。

 もうこうなったらそのつもりで聞いておこう。

「入浴はかまわないんでしょうか」

「ん~、まあ自覚症状がないのであれば、入っていいとしか言えません。持病もなかったですよね」

「はい」

 思わず、「はい、確か」と言いそうになって、口をつぐんだ。岸先生の肉体のことは知らない。薬を継続的に飲んでいた様子はないし、身体を動かすのにも何一つ不自由していない。この時代に来た当初悩まされた頭痛から解放されて、今や健全・健康そのものだと思っている。ありがたい。

 一方、以前に思い付いた仮説――私が岸先生の身体に入っている間、岸先生は私の身体に入っている――がもしも当たっているとするなら、今頃、岸先生は四苦八苦してるのではないか。何しろ、私が最初に天瀬を救ったあと、夢に似せて見せられたビジョンでは、私の肉体は病床の上だった。あの身体に居るのだとしたら、どこも思い通りに動かせまい。それどころか、生死の境をまださまよっているのではないかと心配になってくる。

 それはとりもなおさず、私自身に跳ね返ってくる不安である。今の私は天瀬を助けるという使命を帯びてはいるんだろうけれども、いつ何時元いた時代の元の身体に戻されるか、絶対確実な基準なんてものは恐らく存在しないんだろう。あったとしたって、私自身がそれを察知できる訳ではなさそうだ。

 以前見たときは、元通りになれるという“天の声”が聞こえたけれども、あれもどこまで信用できるんだろうか。元通りになれるというのは考えてみれば意味するところが曖昧で、実に頼りない。たとえば、『元の肉体に戻って当初の予定通り、交通事故による死を迎える』だったとしても、元通りには違いあるまい。私的には嫌だが。

 仮に、戻った瞬間に死を迎えるのが私の運命なら、受け入れるしかないんだろうな。ただ、帰還即ち死がどうしても避けられないのであるならば、元の時代に戻すのは私が天瀬を完全に助けたと言える状態になってからにしてくれ。今のこんな状況をもたらしたのが誰だか知らないが、そこだけはひらに頼む。

 自室に入って荷物を置いてから、真剣に願った。


 まだ若いつもりなのに、妙な形で健康問題だの運命だのを考えたせいか、気分がくさくさする。肉体も疲れているはずだが、それ以上に心が疲れを自覚している。できることならさっとひとっ風呂浴びて、適度な酒と食事を摂って、さっさと眠りたい。

 吉見先生が心配してくれることにかこつけて、仮病を使えばそれも可能かもしれない。が、ここでそんなずるができるようなら、私は多分、教師になっていない。

 スケジュールに従って行動し、時間が過ぎるのを待つとしよう。エネルギーの温存だ……と考えつつ、部屋を出た矢先、クラスの子供達が待ち構えていたかのように寄ってきた。ざっと数えて十余名。ほぼ、いや全員女子のようだ。風呂の時間が昨日よりは余裕があるせいか、皆、待つ間の元気を持て余していると見える。

「ねえ、先生。何か新しい遊び考えてよ」

 副委員長だからか天瀬が代表する形で言った。腕を引っ張っているのはおねだりのニュアンスではなく、どうやら部屋に連れて行きたがっているのか。その証拠に、他の女子数人が後ろをぐいぐい押してくる。

「遊びなら、昨日の3vs3ポーカーでもやっていればいいんじゃないか」

「時間が掛かるからだめだよ。もうすぐお風呂だし、そのあとは夕ご飯だから。ぱっとやってぱっと終わるもの。何かないかな」

「いきなり言われてもな」

 割と本気で悩む。そうこうする内に、畳敷きの大きな間に連れて来られた。ここはクラス単位に割り当てられた部屋で、言ってみれば臨時の教室である。ふすまの向こうには男子がいて、さぞかし騒がしいんだろうなと思っていたら……いない。広間には男子は一人も見当たらなかった。

「お? 男子達はどうした。もう風呂か?」

「ううん。さっきまでいたんですけどねえ」

 棚倉がため息交じりに言った。

「分かるように説明しなさい。女と男に別れて喧嘩でもしたか」

「違うよ、勝手に出て行ったの」

 天瀬がすかさず答える。

「質問を待たなくていいから、とにかく説明をしてくれないかな」

「いいよ。簡単に言うと……女子も男子も、一緒になって青すb気満々だったと思うの、最初の時点では。昨日の夜のポーカーは結構盛り上がったけれども、今は時間があまりないから、他の子とをしようってなって、簡単には決まらなくって」

「男子がしびれを切らして出て行ったのか」

「違うって。先生、先回りしないでください」

「それも勝手な想像をして、外れるなんて」

 天瀬と君津から続けざまにだめ出しされた。ま、まあ、ここはおとなしく聞くのに徹する方が無難なようだ。

「私達ばかりに考えさせようとするから、男子も何か案を出しなさいよって言ったら――あれは誰だったっけ?」

「砂田君か後藤君だったと思う」

「どっちでもいいじゃない」

 何かいい加減で、ゆるいな。これで、喧嘩の原因とかではないのは確実だ。

「とにかく男子の誰かが、大きい声で言ったのよ。『だったら野球拳やろうぜ』って」


 つづく

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