第152話 平熱のような違うような

「冗談はさておき、先生を呼び止めたのは、付随して聞きたいことが二つ浮かんで来たので。一つは、六谷という子は、昨晩の打ち合わせで、ちょっとテンションが高い子が何人かいるという話になったときに名前の挙がった一人だったと記憶してるが」

 校長が一転して真面目な口ぶりで聞いてきた。

「その通りです」

「彼が天瀬という子に着いていったのは、そのことが影響しているんだろうか? 普段にない冒険心を発揮して、危ないと分かっていて着いていったのか、もっと単純にクラスメートを心配してのことだったのか」

「さあ、どうでしょう……。学校での普段の態度から推せば、六谷が何か問題が発生したのを目撃したら、委員長か担任の僕に言ってからになると思うので、今日のは普段にない行動だと言えますが、必ずしもマイナスの面ばかりでもない気がしますし」

「なるほど。担任の先生の言葉を尊重するとしましょう。もう一つは、これはご相談でもあるんだが」

「何でしょう」

「児童への声かけを一律に事案だとして拒絶し、問題視することが、児童にとっていいことなんだろうかという疑問が、頭をかすめたものでね。今日のことがどうこうではなく、一般論として、真っ当なスカウト話を無碍にシャットアウトするのは、子供達の不利益になっていやしないかと」

「……子供達がまともなスカウトマンにスカウトされて、芸能界入りして、成功するのは非常にレアなケースでしょう。それを気にしていたら、何もかも自由にさせなければいけなくなるのでは。どうしても子供が芸能界を目指したいのであれな、保護者の方に判断を任せるほかないと思いますが」

「確かにレアケースだし、保護者に任せるのが当たり前。それらを全て承知の上で、学校側の判断だけで、チャンスの芽を摘み取っていいのだろうかという問い掛けだよ」

 校長は私が杉野倉の名刺を受け取ったことを知っているし、その名刺を直に見てもいる。この件で何らかの前向きな対処を暗に求めて来ているのか。しかし、一般論と明言していたし……。

「僕個人としては、それでもやや否定的に扱うべきだと信じます。芸能界入りやタレント活動が成功を補償されているのならともかく、そんなことはあり得ないんですから。むしろ逆のことの方が圧倒的に多い印象がある。だったら、教師の立場にある者は、子供達が誘惑にそのまま乗ってしまう前に、ブレーキを掛ける役割を果たすべきだと」

「分かりました」

 伊知川校長の手が私の肩に触れる。ぽんと叩いて、

「担任のあなたがしっかりした考えの基、判断しておられるんなら、これも尊重するほかない。ま、学校全体の統一見解をこしらえて、うちの児童には声を掛けないでくださいなんて声明を出すのも手間だしねえ」

 表情をふっと緩ませ、校長はまたジョークを持って来た。私は一礼してホテルに入るつもりだったが、ふと思い付きの冗談で切り返すことにした。

「校長、今どきそんな上から目線の方針を公表したら、どんだけ美男美女がいる学校なんだよと突っ込みが全国から殺到しますよ。炎上はやばい」

「――なるほどね。燃え上がるのは困る」

 ……校長の返事に間があったような。もしかして、二〇〇四年の頃は、ネット用語としての炎上という表現はまだ世の中に浸透していなかったっけ? 微妙な時期だったと思うんだが。


 宿泊施設に着いてからのスケジュールは、昨日とだいたい同じ。今日の方が元々遅れを見越した時間決めをしていたおかげで、若干の余裕がある。

 フロントのカウンターの前を通って、奥へ行こうとすると、エントランスホールの方から、「あ、岸先生。待ってたんですよ」と吉見先生の声がした。

 振り向くと、昨日よりは薄着でノースリーブ姿の吉見先生が電子式体温計を手に、にこやかに立っていた。

「念のための確認です」

「はあ、体温を測ると」

「問診もです。体調はどうですか。いくら治ったと思っていても、初めての修学旅行の付き添いで色々と神経をお使いでしょうし、京都では子供達に手こずらされたそうじゃありませんか」

「いや、これくらい何とも。その程度には若いですから」

 強がりでも何でもなく、事実を伝える。吉見先生は体温計の数字を読み取った。

「――三十六度二分。熱はないというか、逆にちょっと低くありません? 今まで二回ほどお計りしたことがあると思いますが、二回とも三十六度台の後半に安定して届いていたように記憶していますわ」

 そうなのか。三十六度前半というと、私・貴志道郎の平熱であるのだけれど、岸先生はもう少し高い人らしい。

 そもそも今の三十六度二分というのが、私自身の体温なのか、岸先生の肉体の体温なのか、知る術はないのだが、もし後者だとしたら体調を崩していることになる、のか? 私自身は異常を感じていないので元気いっぱい動き回っていたら突然ぱたっと倒れた、なんて事態は御免被りたい。

「僕は何とも感じてないのですが、まずいんですかね」

「約0.5度、普段から下回っているのは気になりますね。念のため、体温計をお渡ししておきますから、定期的に計測してみてください。もしもこのあとも下がって、三十六度以下になるようだったら、私に知らせるように」

 三十六度ジャストぐらいまでなら、普通に記録したことあるなあ。出たらどうしよう。


 つづく

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