第285話 クラス担任と校医の違い

「延期じゃなく中止と言い切る根拠は何なんです?」

 対する吉見先生はすらすらと答え始める。

「だって、夏休み中はみんなそれぞれに予定があるから絶対に無理ですし、二学期に入ると運動会、音楽会と立て続けに大きな行事が各学校で行われます。ここに交流行事をねじ込むのは多分、不可能でしょう。そうこうする内に次の交流行事の時季が迫ってきます」

 よく知らないが、冬にも富谷第一小との交流行事が予定されているようだ。クリスマス会か?

「確かに、仰ることにも一理ありそうですね。だめ元でレポートを出して、伊知川校長先生に頼んでみましょうか」

「いいですね。じゃその線でお願いします」

「……お願いしますって、吉見先生はプラネタリウムのレポート、書かないおつもりで?」

「校医は学校行事について提案する立場にないので。例外で、歯の磨き方を子供達にレクチャーするイベントがあるくらいですよ」

「ああ、そうでしたね」

 修学旅行をいよいよ目前に控えた慌ただしい時期だったので、記録しそびれていたけれども、虫歯予防デーの六月四日に全校集会の形で行われたんだった。基準を一年生に合わせるため、幼児向けのテレビ番組に出て来るおねえさんみたいに大げさな身振り手振りで吉見先生ががんばっていた。手作りの巨大な歯ブラシと口の中の模型のインパクトもあり、その姿が今でも割と鮮明に思い出せる。

「あれはすべて吉見先生の主導で?」

「ええ。任せてもらっています。子供達は最も長くて六年間、私の歯磨きレクチャーを受けることになるでしょう? だったら六年間ずっと同じことをするのも芸がないなと思って、毎回知恵を絞ってるんですよねえ。踊りを取り入れたり、あいうえお作文にしてみたり。困るのは、歯の磨き方の“新常識”が出て来ること。去年までと言っていたことが違う~って、子供からつっこまれたら、弁解のしようがないですもん。ほんと、あれだけは勘弁してほしい」

 ちょうど信号待ちで停まった。ハンドルに額を当て、はあ、とため息をつく吉見先生。

「そんなときは正直に話したらいいんじゃないですか。“科学の進歩で、前よりももっといい歯の磨き方が分かりました”ってな感じで」

「基本的にはそれで行くしかない、と分かってはいるんです。ただ、子供達の突っ込みが厳しくて。何で今まで分からなかったのとか、今までのやり方なら虫歯になるのとか。あと、これは私の経験ではないんですけれど、どこかの学校で親御さんがねじ込んできたことがあったそうですよ。『今まで嘘を教えてくれたせいでうちの子が虫歯になったのかもしれない、どうしてくれるのっ』という感じで」

「うわぁ……それはレアケースだと思いたいですね」

「本当に希な事例ですので、我が身に降りかかってくることはまずないと思いますけど、やっぱり不安にはなりますよね」

 信号が青になった。深呼吸をしてから吉見先生は車を発進させた。それから一分あまりで科学館が見えるところまで来た。駐車場の出入り口に差し掛かり、思ったほど混んでいないわと先生が上機嫌になるのが見て取れた。

 それでも建物からやや離れたスペースしか空いていなかったので、科学館に入るのはそのさらに三分ぐらいあとになった。

 館内は弱冷房が効いており、心地よい。私達は窓口に行って入場券とプラネタリウム鑑賞券がセットになったチケットを買い求めた。

「三十分ぐらいありますね」

 お互い、ほぼ同時にそう呟く。次の投影開始時刻までの待ち時間の話だ。

「岸先生は子供達を引率して来ることになるかもしれないし、予行演習のつもりで見て回るのが筋かと思いますが……この期間限定展示というのも気になる」

 チケットと一緒に渡されたリーフレットを眺めながら、吉見先生が言った。期間限定の展示だと予行演習にはならないという意味だろう。

「いいですよ。ここは吉見先生ご希望の場所なんだから、付き合います。リハーサルにこだわる必要ないですし」

 期間限定展示は夏休みとあってか、小中学生の宿題の定番、自由研究に役立ちそうなトピックスをずらりと並べたものとなっていた。

 ペットボトルを使った水ロケットの作り方を筆頭にした廃品利用の工作コーナー、割れにくいシャボン玉からダラタンシー現象まで種々様々に取り揃えた化学実験のコーナー、地域による昆虫の様態の違い、無重力ではろうそくの灯が点らない理由等々、多岐に渡り、今夏に観られる天文ショーにも触れている。

「普通に理科の授業でやれば絶対に受けますね」

「一筋縄でいかない子もいますけどね。知ってる~とか、テレビで見たとか」

 見て回る内に瞬く間に時間が過ぎ、プラネタリウムの開演が迫ってきたため、途中で切り上げる。

 館内案内図に沿ってプラネタリウム施設へつながる通路まで来てみると、列ができていた。

「意外と多いな。公共の交通機関で来る利用者の方が多いのかな」

「目の前にバス停がありますもんね」

 吉見先生は当たり前のように言うけれども、私は知らないので曖昧にうなずいておいた。列の最後尾に付くと、気になり始めたことがある。

 小学生くらいの子が大勢いる。


 つづく

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