第284話 校医だけど好意だけとは違う
「あ。そういう……」
これは私の失態だ。二〇一九年の時点での私・貴志道郎は、中古の小型車ながらマイカーって物を所有している。その感覚が頭の片隅に残っていて、無警戒に言ってしまった。
まあこの程度のミスで、「岸先生ではない、別人だ!」と看破される流れにはなるまいが、注意するに越したことはない。
「実家の方に親の車があるので、それに乗るのと比べれば緊張するという意味で言いました」
言わずもがなの理由付けをしたが、吉見先生は特に気に掛かった様子はなく、車をゆっくりと発進させ、まずはUターンした。
「さて。どこに行きましょうか」
「え? 吉見先生のお好きなところでかまいませんが」
男の方に行き先を決めて欲しい、ぐいぐい引っ張っていってもらいたいというタイプの女性がいることは知っている。仮に吉見先生がそのタイプだとしても、今回はいきなり誘ってきたわけだし、ハンドルを握っているのは彼女自身だし、当然ある程度のスケジュールは決めているものとばかり。
「私が行きたいところは食べ物関係を除けば二つだけ。科学館に行ってプラネタリウムのプログラムを観たいのと、交流行事に参加予定だった子達に何か記念になる物を渡せないか、下調べをしたい。この二つです」
なんと。岸先生に好意を持って誘ったものと思っていたが、お見それしました。子供達のことも考えていたとは。それも学級担任ではない、学校医の吉見先生が。なんていうか、こっちは肩身が狭い……。
落ち込む気分を奮い立たせ、会話続行。
「いいですねー、子供達への記念品。予算はともかくとして、お店を見て回る内に何か思い付くかもしれない。で、プラネタリウムというのは、何か特別な理由でも? まさか観たことないなんて、あり得ないでしょうし」
「特別な理由というほどじゃありませんが、科学館のプラネタリウムが今年、新しくなったんです。知りません?」
「えっと、そういえばそんな話を耳にしたような」
つい、嘘をついてしまった。小学校教師が学校の近場にある科学館のような施設について、何にも知らないなんてのはおかしいだろうから。無理にでも話を合わせないと。でも、プラネタリウムが新しくなっただけで観に行きたいというからには、吉見先生はいっぱしの天文好きってことかな。専門的な方向に話が行ったら、着いて行けなくなりそう。
「旧型機が古くなっていたところへ、新しく開発された移動型プラネタリウムのタイプⅡの設置を打診されてとんとん拍子に決まったとか」
彼女の話を聞いている内に思い出してきた。日本人が開発した球体のプラネタリウムが有名になったのって、この頃だった気がする。テレビでしか見た覚えはないが、大きさはバレーボール、いやもう少し大きかったかな。色は赤紫色だったような。
「どうします? 私の方を先に済ませましょうか。その間に岸先生が行きたいところ、考えてもらって」
「じゃあ……後半にプラネタリウムを持って来られると、疲れが出て眠ってしまう恐れがあるので、真っ先にプラネタリウム」
「分かりました」
風景をざっと確認してから方角を定める様子の吉見先生。
「あ、ちょうどこっち方向で大丈夫。学校からもそう遠くないんですし、もっと活用すればいいのに、科学館」
「校外学習にはよさそうですね」
また調子を合わせる。うちの小学校が普段、どの程度その科学館を活用しているのかを私は知らないのだ。五月から今まで全然話に出て来なかったから、使うとしたら秋口辺りか。秋と言えば運動会があるんだよな。この学校では十月頭に催すのが恒例らしい。夏休みが明けたらじきに練習開始だ。……五月初旬にタイムスリップして、まさか運動会のことまで心配するようになるとは。できることなら早く元の時代に戻りたい反面、何らかの行事に関わり始めたなら、最後まで付き合って見届けたいとも思う。幸か不幸か六谷の件がまったく片付いていないため、私も否応なしに残ることになりそうだが。
「今日、プラネタリウムを観て、簡単なレポートを伊知川校長に提出してみません?」
物思いにふけっていた私の耳に、吉見先生の声がふっと届いた。意図が分からず、率直に聞き返す。
「どういう狙いでですか」
「ですから、校外学習ですよ。あ、プラネタリウム施設の社会見学だったらもっといいですね。折角の新しいプラネタリウム、新しい内に体験するのが子供達にとってもいいんじゃないかしら」
「なるほどね」
子供達のための下見だと考えれば、ちょっとは気が楽になる。
「しかし予算がないでしょう?」
「交流行事の延期で、浮いたお金があると思います。移動のための交通費とか私達に出るはずだった手当とか。足りない分は予備費で」
「中止になったのではないから、予算はそのまま残しておかなくちゃいけないような……」
「私の読みでは今回分は中止ですね」
吉見先生は何故だか自信ありそうな口ぶりだった。そのわけを少し考えてみるも分からなかった私は、すぐに聞き返した。
つづく
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