第409話 サイレントマジョリティ(違う)

「延期してくれとはもちろん言わない。しばらく待ってほしいんだ」

 全身にも声にも力を込めて訴える。対する神内は、冷静沈着に問い返してきた。

「時間にしてどのくらい?」

「それは……」

 具体的に問われると難しいというか厳しい。仮に天瀬の症状を把握できたとしても、夢の中の世界で病気を治すには何をすればいいんだ? いかなる状態を持ってして、治ったと言えるのか?

「言い淀むのも尤もだと思うけれども、そうしている間にも時は過ぎていくのよね」

 神内は腰の両サイドにそれぞれ手を当てたポーズを取り、肩を上下させて息をついた。

「うだうだ考えている暇があったら、天瀬さんに直接聞きなさいな。適当なところでストップを掛けるわ。そのあとは何がどうあっても勝負を再開してもらいます。いいわね?」

「あ、ああ」

 これでも情けを掛けてくれた方なのだとは分かる。だが、天瀬は全然会話に加われないほど急速に悪くなっているようだ。少々の時間をもらったところで、勝負に復帰できるほどの快復を見せるとは考えにくい。

 とはいえ、何もせずにいられるはずもなく、私は天瀬の背に触れようとした。さすってやるつもりだが、すんでのところで手が止まる。今の私は天瀬からすれば、婚約者の貴志道郎ではなく、かつての恩師の岸先生により近い存在なんだろう(婚約者の方もちょっとあやふやだが)。そんな立場の男が勝手に触れるのはまずい。命に危険が迫っているのならともかく、さすがにそこまで悪いようには見えないからなぁ……。

「天瀬さん。どう、具合は? 背中、さすろうか?」

 しょうがないので、確認を取る。すると、天瀬は私を見上げたかと思うと、首を横に振った。えっ、きっぱり嫌がられた?とショックを受けたが、違った。

 続いて天瀬は額の汗を拭ってから、口をぱくぱくさせた。さらに口を小さく開け、人差し指で差し示す。

「ん? 喉がどうかした?」

 問うてみるも、天瀬は難しげな顔をして、小首を傾げた。と思ったら大学ノートとシャープペンを手に取り、適当なページに文字を書き付ける。字を追った私には、彼女がノートを立てて見せてくれる前に、すでに言いたいことは理解した。

「声が出なくなっていたのか」

 改めて言った私に、天瀬がこくこくと頷く。

「あら。そうだったの?」

 神内がびっくりした口調で反応を見せる。事実、知らなかったようだ。現実に眠っている天瀬を見ただけでは、そこまでは分からないんだろう。

「でも何でまた急に」

「……」

 天瀬は何か言おうとした様子を見せるも、やはり声は出ず。再びペンを持った。

<死神サンににらまれたあといつの間にか声が出なくなってました>

 彼女の書いた説明を読んだ私は、神様連中にも見えるようにノートを掲げた。

「こういうことらしい」

 目を通すや否や、ハイネが「私のせいだと?」とさも心外そうに言った。いや、あんたのせいじゃなかったら、誰のせいって言うんだよ。

「死神が死神らしく恐怖してもらえたんだから、文句はないでしょ、ハイネさん」

 そう言う神内は、苦笑を堪える風に口元に手をあてがっていた。

「それで、声以外に何か不具合はあるのかしら」

 神内に問われた天瀬は、もう一度汗を拭うとかぶりを振った。

「息の乱れや発汗は、声が出なくなったことに焦っていただけで、今は何ともない――そう解釈していいのね?」

 神内の問い掛けにうんうんと首肯する天瀬。

「だったら対決は続けられるはずよね。解答も出題もノートとペンで事足りる」

 そうなるよな。これ以上、待たせる理由がない。それでも念のため、私自ら彼女の意思を確かめる。

「天瀬さん、ああ言っているけれども、本当に大丈夫かい? いざとなったら私が代わりになると申し出てみる気でいたんだが」

<大丈夫です>

 天瀬は手早くそう書くと、現状では恐らく精一杯の笑顔を見せてくれた。その懸命さに、巻き込んだことの申し訳なさを痛感する。ほんと、すまない。謝罪の意を声にして届けたいんだが、今それをやると話がややこしくなり、かつ長引くのは確実なので、泣く泣く胸中に押しとどめる。神様連中をこれ以上待たせて、怒らせでもしたら、さすがに口八丁手八丁では通じないだろうしな。

「さて、そろそろよいのではないかね」

 ハイネの台詞は、彼(男だよな、この死神)自身が机を指でこつこつ叩く音に紛れて、普段より一層聞き取りづらかった。

「声を出せずとも、クイズ勝負の障害にはならないという認識でよいのだろうねえ?」

 ハイネの最終確認的な問い掛けに、天瀬は二度、首を縦に振った。

 神内がいささか心配げに眉根を寄せ、「ここでOKを出したら、もう引き返せないわよ。それでもいいの?」と念押ししてきた。彼女の方は天瀬に対する負い目を多少なりとも持っているだろうから、ここでも同情的だな。

 天瀬はしかしこの言葉にも甘えることなく、しっかりと頷いた。それでも不足ならとばかり、ノートの見開きを使って「はい!」と大書までしてみせた。なかなかしゃれっ気がある。ハイネまでもが笑ったように見えた。


 つづく

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