第448話 違う言語で言われても 

 以上の思考を私は可能な限り素早く済ませた。ハイネの要求から「よし、受けた」と返答するまで、タイムラグはほとんどなかった……つもりだ。

「くくく。受けてくれて礼を言うぞ。人間に礼を言うなんて、確か初めてのことだから、聞き逃さぬようにな」

 何を大げさなと思いつつも、私は右耳に片手をあてがうポーズを取った。

 直後、ハイネは某かの発音をした。だがそれを書き留めることは無理だった。まったく聞き慣れない発音で、鼓膜が受け止めきれなかったような不思議で落ち着かない感覚だけが残る。砂糖過多で極彩色のアメリカンなスイーツを食べてみたら、舌の上で嫌な甘さがずっと後を引いたような、とでも形容するのが近いかも。

「今のは死神語か何かか?」

「死神語ではなく、神の言語だ。礼は言ったぞ」

 本当に感謝を意味する言葉だったのやら。別に、死神にありがとうと言ってもらいたくて仕方がないという訳ではないから、どうでもいいのだが。あ、いや、勝った場合の条件にした謝罪も同じように神語でされるとしたら、許容しがたいな。

「今後は神の言語はなしに願いたいね。さあて、死神様。デックから三枚を選んでくれ。駆け引きに労力を費やすのはほどほどにしないと、いざ本番で元気が出なくなる」

 ハイネは静かに、微かな動きで首肯すると、カードの山の上数センチのところへ、左手を通過させた。

「選んだ。さあ、人間もスピーディに選べ」

 そう話すハイネの左手には、三枚のトランプが握られていた。反りの有無は、奴の細長い指の影に隠れて、定かでない。いや、そもそも、手を一振りするだけで三枚を抜き取るなんて?

「異議あり、だな」

 肩の高さに小さく挙手し、淡々とした口調で異を唱える。

「ん? 何が不満かえ?」

「今の動作で、本当にカードの山からその三枚を抜き取ったとは思えない。もしかするとハイネさん、あんたは新たにカード三枚を手の中に出現させたんじゃないか。少なくとも、そう疑われてもしょうがない状況だと思うね」

「ふむ。目がよいわけではないが、疑る頭脳はまともに持っているようだねぇ」

「当たり前だろう。何でもかんでも、神の御技だってことでスルーするわけにいかない。それに、カードを出したり消したりする行為は、ハイネさん、あんたが使おうとしている特殊能力じゃないよな?」

「違う違う。そんなずるをしていては、勝負が成り立たない。それくらいの一線は、私とて守るさね」

「どうだか。神内さんと同じぐらい、誇り高くあってほしいものだ」

 疑いの眼を向ける。と、ハイネは肩をすくめる仕種をした。

「色眼鏡で見られるのはつらいものだねえ。あんたに限らず人間は、どうも死神に悪いイメージを抱きがちのようだけれども、何故だい? 私をはじめとする死神仲間は寿命を司り、死を扱うというだけで、基本的には善も悪もない」

「そりゃあ死だの老いだのは、あまり気持ちのいい話題ではないからな。忌避されがちなのは、仕方があるまい」

「おや。聞くところによると、おまえは人にものを教える立場だそうだが、そんな偏見は感心しないね」

「偏見……ではなく、自然と湧き起こる感情だろう」

 議論するつもりはなかったのだが、死神の方から妙に絡んできたのだからしょうがない。勝負開始を急ぐ空気は薄まっている。

「なれば尋ねるとしようじゃないか。葬儀屋や墓堀人、死刑執行人をその職業を理由に見下してよいものか? 汲み取り屋に家畜解体業は不浄な存在だとして忌み嫌っていいのかい?」

「いや、だめだ」

 即答一択。自分が死神を色眼鏡で見ていたことを、遅蒔きながら思い知らされた。やり込められて、歯がみする思いだった。

「今言われた五つの職業も産科医も、それぞれの役割がある。上も下もない」

 念押しのため、そう付け加える。するとハイネは軽い口調で応じる。

「当然、デイトレーダーや動画職人、政治家、役人、ロビイストもだね?」

 う。何か素直にうなずけない事例をまとめて出して来やがった。ハイネの表情を窺うと、また愉快そうに口の両端を上向きにしている。こいつ、教師である私を試しているのか。

「――ああ。一般論として尊敬されやすいか否かの差はあるだろうが、職業そのものに上下はない」

「ふふん、うまく逃げたようだねえ。ところでこの三枚のカード」

 忘れそうになっていたが、順番決めの途中だった。ハイネは手首を返し、持っていたカードの表をこちらに向けた。

 それを見た私の口を、驚きの「あっ」が衝いて出た。三枚とも白紙だったのだ。

「神の技で新たに取り出したんじゃなく、最初のトランプ一組に予備として付いておった白地のカードを、端っから密かに握り込んでおいたのさ。どうだい、気付かなかったろう?」

 そういえばトランプには、予備の白カードが何枚か付いているタイプがあったっけ。

「……なるほどね。あんたの長い指は、カードをすっぽり覆い隠せる。それを利して、私に錯覚を起こさせるだけの手業を使えるってわけか」

 手品的なことができるとしたら、これはますます厄介だぞ。 


 つづく

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