第372話 世代の違いに注意を

 天気予報がほぼ終わって呟いた私に、天瀬が身を乗り出し気味に聞いてくる。

「雨はあと一時間ちょっと経てば上がる見込みだそうだ。だけどここいらに満遍なく降っているから、川の流れはしばらく今の勢いを保ったままだろうってさ。消防の人達が土嚢を積んでくれてるし、これ以上の水が町に流れ込む危険はだいぶ減ったから、避難所に行こうという話にはならないと思うけど、家に天瀬さんを帰すのもいよいよ難しくなった川の勢いがそのままなら、夜、おいそれと出られないだろうから」

「なーんだ」

 のんきな返事に、私は恐らくしかめっ面になっていたと思う。

「なーんだじゃないぞ。ある意味、一番中途半端な事態で、ここにまた何か別の突発事態が重なったら、対処が――」

「そうなったときはなったときよ、先生。避難所に行かなくていい、このまま先生のところに泊まれるんだったら、一番楽とも言えるでしょ」

「それはそうだが……楽観的でうらやましいよ」

 根負けして認める発言をすると、何故か天瀬は不服げに言ってきた。

「楽観的だと私、脳天気なだけみたいじゃないですか。前向きって言って欲しい」

「そうだな――天瀬さんが前向きでいてくれて、僕もだいぶ気持ちが楽だ。ほっとしているよ」

 こう言い直すと、ようやく満足できたのか、にんまりして頷く天瀬だった。

「あんまり怖がらせたくないから聞かないでいたけれども、お母さんの方は家に一人で大丈夫なんだろうか?」

「それは心配だけど、状況はこことほぼ一緒でしょ?」

「まあ、それはそうなんだろうが……天瀬さんのお母さん一人だと心細いんじゃないかとか」

「お父さんの単身赴任で慣れていると言えば慣れてると思う。岸先生、そんなに心配してくれるんだったら、いっそのこと、お母さんにここへ来てもらうのならできるんじゃないかしら」

 何を言ってるんだと理解に苦しんだ。

「無理だろう。それができるくらいなら、僕の方が何で天瀬さんを送り届けられないのかって話になってしまうよ」

「だよね。言ってみただけ」

 冗談だった。それならそうと、もっと分かり易く言ってくれ。大人の天瀬が発言したのなら冗談とすぐに分かるが、子供だと判断の難易度が高くなるんだから。

「だいたい、お母さんが一晩、他人の先生の家に泊まったなんてことになったら、それを知ったお父さんが予定を早めて飛んで帰ってくるかも」

「笑えないなあ」

「お父さんが早く帰ってきてくれるのなら、私は試してみたいな、なんちゃって」

 無邪気に笑う天瀬。こっちはますます笑えない。

 真面目な話、小学生の大事な一人娘が、クラス担任の男性教師の家に一人で泊まることになった、なんてことを知った父親はどういう気持ちになるんだろう。

 季子さんは快く承知してくれたみたいだけど、普段から接する機会が多いからこそ、私を信頼してくれたという側面はありそうだ。逆にそういった機会が少ない、あるいは皆無だとどこまで信頼してくれるのやら。割とよく新聞種、ニュース種になってるからなあ、教師が教え子もしくは教え子と同年代の子供を相手に問題を起こすのって。将来のお義父さんに誤解されないか、今さらながら心配になってきた。

「ねえ、先生。岸先生の歳だと、どういう歌を唄うの?」

「何だ何だ、唐突に」

「お父さんのことを考えていたら、急に思い出したの。接待でカラオケに行くことになって、歌の練習をしてたなあって」

「ふうん。お父さんが練習してたのは誰の何て曲?」

 質問に質問返しはよくないとされるが、今は仕方がない。何故って、ここは岸先生として答えるべきだろうから。この時代、天瀬と同じ小学生である私の感覚では確実にずれているはず。

「それがお父さんもよくは知らない歌だって。子供の頃、流行っていたのは覚えてるけど、あんまり関心がなかったみたい。私も懐メロの番組で聴いたことあるから、多分、すごく流行ったんだと思う」

「全然覚えてないのかい?」

 岸先生が十八番にしている曲って何だろう?と考えながら、会話を続ける。いつぞや見付けた写真集は参考にならないし……。あっ、鏡を見ることができれば、岸先生自身のもやもやデータが読めるんだった。

「歌手名っていうかグループ名は、キャンなんとかや、ピンクなんとか。曲名ははっきりとは覚えてない。あ、でも歌詞に出て来てた。それをお母さんが料理のとき、変な替え歌にしてたわ」

「替え歌って?」

 ほぼ相づちと変わりないな、こんな会話。それとなく鏡を探しながらなので、気もそぞろになっていることは認める。

「替え歌の方の歌詞は覚えてる。『ほししいたけ もどしたの』って」

「……分かった。『年下の男の子』じゃなかったか?」

 天瀬の口ずさむメロディでぴんと来た。あの季子さんがそんな変な替え歌を口にするとは、想像しがたい。

「そう、それそれ! 先生も知ってるじゃない?」

「いや、たまたま。懐メロの定番の一つだろうな」

「じゃあ、これは? 同じグループの歌で、やっぱりお母さんが変な替え歌にしてた。『どくーきのこが はずーかしげに――』」

「『春一番』だ、それ。言っておくが、お笑い芸人じゃないぞ」


 つづく

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