第47話 違う時代で死にたくない

「ただいま~」

 わざと大きめの声を発して、ノックをしてから鍵を解除、ドアを開ける。もちろん普段はこんな芝居がかった真似、一度もしたことはない。

 ドアの鍵が掛かったままだったことに一定の安心感を得たが、まだ分からない。警戒を怠らずに、ゆっくりと一歩ずつ進む。もちろん、玄関のドアには再施錠した。入ってすぐのところに、金属製の靴べらがあるのを思い出し、手に取る。

 右手に持った靴べらで、左の手のひらをぺちぺちと軽く叩いて音をさせつつ、奥へと進む。人並みに警戒心はあってもさほど怖がりではないつもりだったが、いざ危険な場面に出くわすと、こうなってしまうものなのか。それに加えて、自分が本来いるべきじゃない時代では死にたくない、という気持ちも頭のどこかにあったのだけれども。

 何者かが隠れ潜んでいないか、室内をぐるぐると探索する間、今の私にはここが住まいなのだと強く意識した。何者かが鍵を持って行った事実を思い出した時点でこの部屋を家捜しされるなどの可能性に考えが至らなかったのは、恐らく愛着がなかったためではないだろうか。自分の家なんだと思えば、それだけ執着心が沸いて、油断しなくなるはず。

 隅々まで見て回って、自分以外の誰もいないことを確信できた。一旦引いていた汗がどっと流れ出す。荒らされたり、物が動かされたりといった形跡もなかったので、侵入者が出ていったあとということもあるまい。気にしすぎだったか?

 一息ついて、冷静になれたところで、検討してみよう。犯人X――つまり小柄な人物の立場に立って考えてみるとする。Xからすれば私は飽くまで岸先生という訳だ。

 月曜の夜、Xは岸先生を襲った。Xは昨晩、無言電話を掛けてきた。Xは今日の午後、岸先生を見掛けて、逃げるように立ち去った。

 これらの出来事を事実だと仮定して、Xが逃げたのは何故か? 私を恐れたか驚いたかしたようだった。恐れているのなら、そもそもこの部屋にまで来るものだろうか。私を避けた理由は驚きの方があり得る。

 ならばXは何に驚いたのか。その前段階で、電話を掛けてきたのは何故か。わざわざ姿を見せたことに意味はあるのか。

「……」

 一つの嫌な、あるいは危険な仮説が形作られつつあった。

 これも以前少し想像したことと被るが――私は死にかけたまさにそのタイミングで、十五年前の世界に送られた。魂の“受け入れ先”になってくれたのは岸先生の身体。では岸先生の魂はどこに? 彼もまた死にかけていた、あるいは死んでしまったあとだったのではないか?

 そしてその原因を作ったのがX。Xは命を奪うつもりで岸先生を襲ったのが月曜夜。電話のコードを抜いて壊したのがどのタイミングだったのかは分からない。ともかく完全に息の根を止めたと思い、この部屋を出て、鍵を掛けて立ち去った。

 ところが数日経っても岸先生の事件がニュースにならない。Xは時間があるときにこの町に戻ってきて……まず、夜、このアパートを外から眺めたんじゃないか。そうすると岸先生の部屋の灯りが点っている。これはいよいよ奇っ怪だと感じて、この部屋の固定電話に電話。岸先生の声を電話で聞いて、岸先生は生きていたのかと驚く。半信半疑で昼間、様子を見に行くと、ちょうど岸先生と出くわし、幽霊やゾンビと思い込んだかは知らないが、驚きと恐怖とで逃げた。

 状況を説明するのに、この最悪と言っていい仮説はぴたりと当てはまる。

 当たっているとしたら、次にXはどんな行動に出るだろうか。考えたくないが、真っ先に浮かぶのは、改めて殺しに来る、だ。

「……大家さんの連絡先って、どこにあるんだろ」

 私は独りごちて、手帳をぱらぱらとめくった。鍵を付け替えようと考えたのだ。身を守るための出費だ、仕方がない。

 見付からないなとまた焦りを覚え始めたとき、ドアがノックされた。


 つづく

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