第432話 祈る相手が違うだろ!

「さあ、ほんとに疲れてきた。唯一のギャラリーもお待ちかねのようだし、勝負といきましょう」

 浜辺の方を一瞥するや、神内は素早い動作でサイコロを己の升へと投じた。ちなみに、隙あらばお返しに水を入れてやろうと狙っていたんだが、残念ながら無理だった。

 升を覗き込んだ神内は、にっ、と笑った。

「どうやら呪いを打ち砕けたわ。6よ」

 彼女の声に合わせるように、振動音と共に足場6が沈み始める。私は1に飛び移った。一度落水したせいで、全身は水浸し。それが原因で滑ってしまわぬよう、慎重にも慎重を期した。

「呪いが解けたと安心するのは、ちょっと早いんじゃないかな」

 気後れしないよう、私はすかさず言った。

「本当の意味で呪いが消えたと言えるのは、このあと私の投げたサイコロが、6を示さなかったらの話だろう」

「そうだったわね」

 簡単に認める神内。表情は依然として笑みをたたえているものの、疲労の色は濃くなっている、気がする。若干だが呼吸が荒くなり、身体もかすかに震えていると見た。

「自信があるみたいだけど、さっきの投げ方だと6よりも4の方が、出やすいんじゃないかしらね」

「何とでも言え。今、神内さんが6を出せたのは、その投げ方を真似たからじゃないのかい?」

「さあ、どうでしょう? 純粋に、六分の一の可能性に賭けたら成功しちゃったのかもね」

「偶然に頼るよりかは、少しでも効果のある方を選ぶだろうさ、あなたなら。以前言ってたじゃないか、神はサイコロを振らないって」

「振っちゃいけない訳じゃなし。運任せと一口に言っても、神様の運は人間とはレベルが違うのかもしれないでしょ」

 それが通ったらインチキだ。運の要素がある程度入り込む対決をしていながら、運の善し悪しがはっきり存在するのなら勝負は成立しない。だから今の発言は、神内流のはったりに違いあるまい。

 私はサイコロの手触りを確かめながら、投げる態勢に入った。

「まだ少しあるわよ。折角だから、時間いっぱいまでせいぜい祈っておくことね。外せば、次で私の勝ちは確定すると承知しているでしょう? 祈らないよりは、祈る方が後悔しなくて済むのじゃないの」

 心理的には一理ありそうなことを言う。ま、時間が来るまで天に祈るのも悪くはない。私はサイコロを落とさぬように気を付けて、両手を合わせた。その姿勢のまま、軽く目を瞑って、口中でも願いをごもごと唱える。

(神様、どうか6の目を出させてください。それが六谷や九文寺さんのためになるんです)

 そんな文言を半ば程まで言ったとき、瞬時にあるいは本能的に、あれ?今、私はおかしなことやってないか、と。

(神様と勝負しているときに、対戦相手の神様に願いを叶えてくれって頼むの、明らかに矛盾しているじゃないか)

 私は、今の願い、なし!と頭の中で訂正を試みる一方、これこそが神内の策略で、神様頼みの雰囲気に持って行こうとしたんじゃないかと思った。神と対決の最中に、神頼みするなんてあり得ない。それくらいのこと、考えるまでもなく分かっていたはずだが、何故か心が傾いてしまっていた。

 私はサイコロを放る動作を止め、足元を確かめてから自らの頬をぺちぺちと軽く叩いた。今、誰かを精神的な頼みとするのなら、真っ先に思い浮かぶ一人がいる。

(六谷。もしこの声が届くようなら、おまえの執念を見せるときだぞっ)

 現在の状況になるそもそもの原因を作ったのは六谷。元はこの対決に出るはずだった六谷。長く寝込んで大変かもしれないが、6の目を出すのに力を貸してくれと願っても、罰は当たるまい。

 私はサイコロを合掌の形で挟んで、もう一度、強く念じた。今度はフルネームで呼び掛けるとしよう。


             *           *


「あら」

 上体を起こした六谷直己は、顔の真右横で母親の声を聞いた。そちらにゆっくりと向き、何か話そうとしたのだが、口の中が張り付いてうまく動かせなかった。

「目が覚めたのね。でもいきなり起きても大丈夫なの?」

「……ここは……」

 六谷は聞き返しながらも、まずは自分の手のひらをしげしげと眺め下ろした。ここ数ヶ月の間に慣れ親しんだサイズの手だった。

(だめか~。目覚めたら元の時代に戻っていた、なんて楽なコースは選ばせてもらえないらしいや)

「ココアが飲みたいの? 夏だからアイスココア?」

 母親は妙な返事をしてくれた。“ここは”を聞き違えたというボケなのか、マジに聞き違えたのか分からない。普段ならたまに冗談の一つも飛ばすことはあるけれども、六谷が高熱を出して寝込むようになってからは、まず言わなくなっている。

「ここはどこ?」

 母親の台詞の真意はとりあえず棚上げし、改めて詳しめに聞いた。

「ここは病院よ。お家から移ったの、覚えていない?」

「うーん、何となく記憶があるようなないような」

 診察を受けに来た覚えはあるものの、そのまま入院した記憶は欠けている。ただ、自宅で様子見ということになったあと、一時は下がり始めた熱がまたリバウンド、もとい、ぶり返してきたことがあったのは思い出した。

(てゆうことは、再度の診察を受けて、結局入院したんだな。うん? それは初めてのときもそうだったような)


 つづく

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