第388話 思惑違い

「悪いところは見当たらないな。そういえば思い出した。昨日の眠っているときも結構うなされているのを見たんだ」

「うなされているって、私がですか?」

 自分自身を指差す天瀬。

「そう。もしかしたらまた夢を見ていて、死神が出て来ていたとか」

「そんな気もするけれど、目が覚めた瞬間にほとんど忘れちゃっているかも。真っ先に、肌の汗がやだなって感じたくらいで」

 記憶に残っていないのなら、無理に掘り返すこともないだろう。それに天瀬が夜中に目を覚ましたのは、死神が撤退したあとだったろうから、穏やかに起きられたのかもしれない。

「まあ、どんな悪夢を見たにしても、本心から怖がるのを他人に分かってもらうのは難しいな。同じ夢をその他人に見せることができればいいんだろうけど」

「ううん、あの死神には巡り逢わない方がいい。長谷井君だけじゃなく、誰も」

「優しいな。それじゃあ怖さを理解してもらえなくても仕方がないとあきらめるか」

「うーん……簡単には理解してもらえないことは分かったわ。ただ、長谷井君も私の気持ちを理解しようとして欲しい」

 なるほど。悪夢に登場した死神について長谷井が一方的に否定するだけだったのが不満の根源か。私が取りなすのもおかしな話だが、今度機会があったら長谷井にそれとなくアドバイスしてやろう。元々の二〇〇四年では、天瀬と長谷井は平穏な、小学生らしい付き合いをしていたはず。夢が原因で喧嘩したのは恐らくイレギュラーな出来事であり、それをなるべくリカバリーしてやるのは私のためにもなるに違いない。


 その後の時間は瞬く間に過ぎた。

 天候の回復に続いて水が完全に止まり、引き始めたのを見て天瀬を自宅へ送り届けた。幸い、道路の泥は水で洗い流せばどうにかなりそうなレベルだ。季子さんと少し話し込んでから帰る。

 すると、ちょうど長谷井と出くわした。天瀬を心配して様子を見に来たらしい。最初は離れた場所から眺めて彼女の無事を確認したら戻るつもりだったようだが、気付いた私が手招きして、「ちゃんと見舞って行かないと後悔するんじゃないか」と水を向けるとその気になった。例のアドバイスをしてから送り出してやった。

 アパートに戻ってからは、四番勝負のあとのことを考え、仕事を急ピッチで片付けていく。と言っても残っている面談の準備を早めたのと、夏休み中の学校プール開放日の再確認ぐらいだ。秋の運動会の準備もぼちぼち取り掛かる頃合いだけど、これは私一人が動いてもしょうがない。教師による出し物の練習があるのは八月末と聞いている。というか、私はいつまでこの二〇〇四年にいられるんだろう?

 食事の度に、ふと気付くとそんなことを考えるようになっていた。当初は一刻も早く二〇一九年に戻りたいと思っていたのが、今では多少変化を来している。

 神様との勝負にはもちろん勝つ気で臨む。勝った場合、はいさようならとなるのかどうか。神内から以前聞いた話では、岸先生の方は簡単には終われない状況に置かれているようだったから、すんなり入れ替わって元通りとはならない気はする。私としても、数ヶ月間だけだがここで関わった児童達のことを放り出して行くような真似は、できれば避けたい。せめて区切りのいいところまでは責任を持ちたいものだ。

 ほんの短い期間、受け持っただけでもこんな調子になるとは。あまり長くクラス担任として子供らに接していると、今以上に情がわいて、去りがたい気持ちが強まるかもしれない。


 そして、次の朝――決戦の朝を迎えるべく、床に就いた。


 寂れた聖堂のようだった。

 かつて黄金の輝きを放っていたであろう像や十字架はくすみ、パイプオルガンに直結する鍵盤は埃を被っている。窓の桟にはやはり埃がこびりつき、一部のガラスは角が小さく割れている。花瓶に挿された造花と何列もある横長の座席だけ、磨いたみたいにきれいだった。

 神様が用意した舞台がこれならまあ分からなくはないが、死神のセレクトだとすると微妙な心地になる。

 その相手側二人の姿はまだ見えない。それよりも私は天瀬を探した。最早懐かしくさえ感じる、大人の天瀬美穂を。

 しかし、ぐるっと視線を水平方向に一回りさせても、天瀬どころか誰一人見当たらなかった。

「おーい! 誰もいないのか?」

 声を出すと、思った以上に反響する。それと同時に、この声は岸先生のものだと認識した。二〇一九年の天瀬の夢の中に来たとは言え、私自身の肉体は戻らないようだ。ということは、天瀬に対しても貴志道郎ではなく岸先生として接しなければならない。期待をしていた訳じゃないが、思惑が外れた。

 二〇一九年の貴志道郎の姿に戻れていたなら、天瀬に対して心配を掛けていることを謝れるし、逆に彼女の口から二〇一九年の私が病院のベッドの上でどんな様子かを聞き出せる。うまくすれば十五年前のことを思い出してもらって、勝負をわずかでも有利に運べるかもしれない。

 そう思っていたのだが、岸先生の格好のままでは、ちょっとやりにくくなる。夢の中だからと割り切り、細かい説明は省いて突っ走る手もあるが……天瀬が混乱を来す恐れもあるし、簡単には踏み切れない。


 つづく

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