第54話 高さの違いをなくす
給食を済ませたのは、私の方が当然早かったのだが、天瀬もいつもに比べたらかなり早かった。牛乳を飲み干す勢いなんて、早食いでならすクラスの男子にも引けを取らないぐらいのスピードだった。
「先生、早く行こ」
トレイを片したあと、私の机に直行してきて彼女は言った。半ば引っ張られるようにして、廊下に出る。
「どこ?」
「どこって……ああ、しおりが置いてあるのは社会科準備室だ」
察して答えたはいいが、私は社会科準備室の場所を知らない。まだ利用したことがないのだ。これでも一応、校舎の間取りは頭に入れたつもりだったのだが、一度も使ったことのない部屋となると、記憶があやふやで頼りない。
「先を歩いてくれるか。天瀬さんに背中を向けて大事な話はできないから」
「? いいけど……」
訝しまれたが、天瀬は前に立った。
しばらくは黙って歩いて、クラスの入っていない教室に差し掛かったところで、口を開く。
「金曜のことなんだけど」
つい、十五年後の口調になった。十五年後の私は天瀬にこんな調子で話している。
聞いているのかいないのか、天瀬から反応はない。お団子頭が一定のリズムでゆっくりと揺れる。
「僕は誓って、何もしていないんだ。雪島さんに言ったのは、100パーセントの力を出すと相手が怪我するかもしれないからよく考えてくれという意味のことだけ。そうしたらちょっと遊びが入ってしまったみたいなんだ」
「……」
「今の君――天瀬さんには信じられないかもしれないけれども、僕が君を困らせたいなんて絶対に考えもしないことを分かって欲しい」
「そんなの、分かってるよ」
「えっ?」
不意に言い返され、一瞬、呆気に取られた。
目の前の天瀬は歩を早めることも遅くすることもなく、廊下を進む。
「岸先生がそんなことするわけないっていうのは、分かってたの」
「……じゃあ、何に怒ってたの?」
「注意してくれなかった」
「うん?」
「あのとき、雪島さんを注意して欲しかった。ルール違反じゃないからっていうのは分かってる。それでも注意して欲しかったの。関節がどうとかじゃなくって」
天瀬は立ち止まり、こちらへ向き直った。私も歩みを止める。距離が近すぎる気がして、二歩下がった。
じっと見上げてくる天瀬に、私はかなわないなと思った。
「分かった。先生が悪かった。すまなかった」
膝を曲げて、目の高さをなるべく合わせると、改めて「すまん」と、軽くではあるが頭を下げた。
「ルールを守るだけでいいのであれば、先生なんていらなくなっちまうもんな」
「そこまでは言ってないよ」
微笑んだ彼女はすぐに前を向いてしまった。正直言って、もう少しの間、見ていたかった。
しおりは思っていたよりもボリュームがあって、しかも観光案内の冊子などが別にあったため、そこそこの重さになった。おかげで、大部分を自分が持つ羽目に。
「さっきの話とは関係ないんだが」
教室に戻るまでにもう一つのこともけりを付けておこうと、声を掛ける。天瀬もそれなりの量を運んでいるため、振り返る余裕はないようだ。
「なーに、先生?」
「今日の放課後、お家の人に会いに行きたいんだ。何時頃ならおられる?」
「えー? 何で?」
だろうな。どんなに優等生であったとしても、いきなり担任教師が家に行きたい、ご両親に話がある、だなんて言い出したら不安に駆られる。
「ちょっとな。進路のことで相談ってやつだ。ま、安心してていいぞ。天瀬の気持ちに反してってことは絶対にないから」
下校時の護衛のためだ、多少の嘘は許されるだろう。
「だったら家に来なくても、私に言ったらいいのに」
「はは。親御さんの意見も一応は聞いてくれよ。手順てものがある」
「しょうがないなあ」
どうにか承知してくれた。仲直りの効果が出たかな。
つづく
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