第55話 間違いのないよう下準備

 あとは、私自身が天瀬と同時刻に学校を出る理由付けがいる。黙って勝手に抜け出ることも不可能ではないだろうけれど、学校側から目を付けられるような真似はなるべく避けたい。それに今日一日限りで決着するのか、非常にあやふやである。早い内に実力行使に出るものと予想されるが、確実ではない。今後も早めに学校を発たねばならないケースが増えるかもしれないのだ。

 まあ、今日のところは、自宅アパートに大事な忘れ物をしたとの名目で、一時的に学校を抜けるつもりだ。

 教室に着くと、長谷井が気が付いて、天瀬の方に駆け寄ってきた。さすがだな。ほとんどの児童はグランドに出て遊んでいるようなのに、残って、しかも出入り口を注意していたってことは、こうなることを予想していたに違いない。

「先生、何で天瀬さんだけに頼んだのさ?」

 不満そうに言った長谷井は天瀬の持っていた分を全部引き受け、教卓に運んだ。

 私は先週金曜の件における長谷井の立ち位置を考慮し、正直に答えることにした。

「こんなに多いとは思ってなかった。それに、クラブ授業のことで、天瀬さんに謝っておこうと思ってな」

「――ほんと?」

 彼は天瀬に向き直った。そうして彼女が黙ってこくりと頷くと、納得したように長谷井も「それならよかった」と頷いた。

 こうしてみると、完全にカップルだよなぁ。天瀬の片想いのはずなんだが、どうやら長谷井の方が言い出すのを待ってる感じなのか?

 もしもこのカップル成立が、私・貴志道郎がこの時代に来て岸先生として振る舞ったが故に、歴史の改編が行われたことによるものであるのなら、止めるつもりだ。

 けれども。

 十数年後の私は天瀬と付き合うようになってから、過去の男性遍歴を聞くような真似は全くしなかった。もちろん、彼女に内緒で私物を当たって探ろうともしていない。つまり、天瀬のかつて付き合っていた男について何にも知らない私には、長谷井と付き合うのを止める権利も理由もない。

 ということで温かく見守ろうではないか。

「これどこに置いとくの?」

 運んできたしおりの山を示しながら、長谷井と天瀬が相次いで聞いてくる。私は、教室後ろの棚の上に置くように指図した。


 この日の授業が全て終わり、しおりを配って、迫ってきた修学旅行に軽く触れて、ホームルームも済んだ。

 私は天瀬に少し待つように言って、教室を出るなり、廊下をなるべく急いだ。普段、児童らに走るなと注意している手前、こっちも守るほかない。

 着いた先は保健室。ノックもそこそこに横開きの戸をがらっと開ける。机で何やら書き物をしていた吉見先生が面を起こし、何事かという風なびっくり眼と目が合った。

「怪我人ですか?」

 腰を浮かせ、救急箱を手に飛び出しそうな先生に対し、慌てて首を横に振った。

「い、いえ、違います。今週の金曜にやるクラブ授業のご説明にと思ってたんですが、資料を自宅に忘れてきてしまったみたいで。取りに帰るつもりなんですが、まだしばらくおられますよね?」

「え、ええ」

 何だそんなことと言わんばかりに息を吐き、座り直した。

「別に急がなくてもいいですよ。これで岸先生が事故にでも遭ったら元も子もありませんから」

「そこは充分に気を付けます。では」

 来たときよりは控え目に戸を閉め、立ち去る。今度は職員室へと急ぐ。


 つづく

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