第86話 もしやストーカー? 違うよね?

 声に出したくなかったが、勝手に漏れた。当然、目の前の弁野教頭は怪訝さを顔一杯に広げている。

「おや、何かありましたか?」

「い、いえ。しばらくの間、夕焼けを見続けていたものだからかな。変な錯覚というか、残像現象が起きたみたいです」

「ほう」

 後ろを振り返る弁野教頭。もちろん私の話は口から出任せで、特に何か見えたわけじゃない。様々な高さの建物や給水塔があるだけだ。

 教頭から深く突っ込まれて聞かれたら、給水塔が空飛ぶ円盤に見えたことにしようと思った。が、実際にはそうならず、スルーしてくれた。

「おっと、いつまでも停めているのはまずいな。岸先生もお急ぎのところを呼び止めて、すまなかったね」

「いえ、ゆっくり帰るつもりでしたから」

 教頭との初めてのやり取りはこれで終わった。けれども、私の頭には引っ掛かりが残っている。

 ダイヤのマークは柏木先生と同じマーク……何の意味があるのか、再考する必要がありそうだ。


 自分の部屋に戻ってからは、日常的なあれやこれや、要するに夕飯を食べたり身体を濡れタオルで拭いたりとか、あるいは持ち帰った仕事を済ませたりした。

 マークについて考えるのは、そういった諸々のあとに回すくらい優先順位が低く、寝る前のタイミングになった。単に、他人の好きな者同士にマークを付けただけなら、はっきり言ってどうでもいいくらいだ。もちろん天瀬については気になるけれども、それとて嫁の子供の頃の話であって、嫉妬するレベルじゃない。目の前で小学生らしく(らしからぬ、かな?)天瀬と長谷井にべたべたと仲よくされる方が、多分、私にとっては堪えるんじゃないかと思う。いらいらするという意味で。

 それでもまあ考えてみようという気になったのは、もう一つ教頭と柏木先生という組み合わせの意外性故である。あと、岸先生の好きな異性の第一位だしな、柏木先生は。

 ……うん? 岸先生は弁野教頭と柏木先生が両想いだろうと認識しつつも、彼女をトップにランクしているのか。ひょっとして、奪うつもり満々でいたとか? 略奪愛なんて言葉が流行った記憶が微かにあるけど、あれっていつだっけ。

 略奪愛ねえ。私のイメージしていた岸先生とはだいぶずれがあるな。

 あっ。略奪って、もしかすると教頭は既婚者じゃないのか? 年齢が年齢だし、教育者は家族を持って安定した家庭を築くべし的な風潮が残っているところもあるからなあ(でもあんまり結婚が早いと、教え子を二の次にしているのかと叩かれることもある……)。

 弁野教頭のデータを見て確認したいところだが、彼の顔を思い浮かべても無理だった。出て来ない。直に顔を見る必要がある。

 もし本当に二人が不倫関係だったらどうしよう……。

 そういえば教頭は校長以上に激務と聞くから、教頭が抜けると穴埋めが大変なんだよな、確か。なのに、そういう仕事の手伝い要請が私に来なかったのは、私が二週続けて体調に問題ありとなったためか? あるいは伊知川校長が完璧にフォローしているのかも。

 弁野教頭が完全復帰間近って雰囲気のところで、あの人不倫してますよと校長に報告すると、どうなるんだろ。新しく教頭のなり手を探さなきゃならなくなる? 面倒なことになりそうだ……。

 と、ここまで考えてきて、ちょっと勇み足が過ぎると思い直した。

 仮に弁野教頭が既婚者であるとしても、柏木先生と不倫の関係にあるとは言い切れない。マークは証拠にならないし、そもそもマークの意味だってまだ私の想像の域を出ていないのだから。

 今気になるのは、マークの意味が好きな者同士の関係を表していると仮定した上で、岸先生はどうやって教頭と柏木先生が好き同士だと認識できたのか、だ。

 まさか、興信所の探偵を雇って、柏木先生の身辺調査をしたんじゃあるまいな?


 つづく

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