第344話 まだ人じゃないから? いや間違っている

「仕方がないか、当事者が聞きたいんだったら」

 暗がりの中からの声がため息交じりになった。ますます気になるじゃないか。

「あなたと天瀬美穂さんが結婚したあと、子供をもうけるまで三年余分に掛かるようにさせてもらう、と言っていたわ」

「……何だそれ。意味不明というか言葉の意味は分かるが、狙いが分からない」

 結婚だの子供だのという話を突然持ち出され、わずかに赤面するのを意識した。

「繰り返すけど、怒らないでよ。――多分、遅らせる三年の間に何度かできるであろう受精卵の命をもらうってことだと思う」

「受精卵の命」

 つまり、仮に妊娠して、胎児が育ち始めたとしても流産させられる? そうして胎児の魂を刈り取って、自らの成果とする訳か?

「神内さんが怒るなってしつこく前振りしていた意味が分かったよ。怒らないでいるのが難しい」

「でしょ。でもその感情を今ここで私にぶつけられても困るし、たまったものじゃないから。エネルギーに変えて、当日まで取っておいて」

「あなたに免じてそうする」

 が、内心ではむかむかが続いていた。一歩譲って、いや百万歩ぐらい譲ってそれが死神の仕事だとしてもだ。いくら人の死を司る死神でも、刈り取っていい魂は寿命が尽きた者か、悪事をなした者と相場が決まってるんじゃないのか。胎児はどちらにも該当しまい。

 今度の勝負、個人的にも負けられない理由ができてしまった。百パーセントの本気にさせてくれてありがとうと言えるようにしたい。

「それで三つ目は?」

「なに?」

 不意の問い掛けに応じた私の返事は、いささか粗野な調子になっていた。

「もう、やっぱり怒ってるな~。頼むから冷静でいてよ」

「分かってる。三つ目というのは……ああ、最後の質問だな」

「そうそう」

「……何だったっけ? 怒りが強すぎて、頭から消えてしまった」

「そんな。これ以上時間を取るのは勘弁よ。ほんと、死神から怪しまれかねない」

 心底弱った口ぶりに聞こえたので、私もがんばって思い出そうと努力した。

「――そうだ。思い出した。勝利の条件について聞いておきたいんだ。前に聞いたのと変わらず、四戦全勝でないとだめなのか。こちらはパートナーの急な変更があったわけだし」

「何を甘いことを言ってるの。こちらはその分、譲ったわよ」

 神内のあきれ顔が目に浮かぶ。しかし、はて、何を譲歩されたっけ?

「人間側の負け方に関係なく、六谷直己には二〇一一年までの再チャレンジの権利を保障してあげたでしょうが」

「あ、それか。何か当たり前みたいに受け取っていた。すまない」

 素直に謝ったのは下手に出ると決めているため。わずかでもさらなる譲歩を引き出しておきたい。

「ただ、一言申し立てをしたい。そもそも六谷の欠場はそちらの死神が盤外戦を仕掛けてきた結果。神様が人間ごときを相手にそんなずる賢く立ち回るなんて、ちょっと理不尽に過ぎやしませんか」

「盤外戦は私の与り知らぬところでの話だから。あとになって結果を聞いただけで」

「そんな事情、こちらには関係ないよ。そういう小賢しい仕掛けをしないと、神様達は人間に勝利する自信が持てなかったのかってことを問うている。だいたいこっちは四つ全部勝たなきゃいけないのに、そっちは一勝すれば全体での勝利だなんて、ハンデがきつい。弱い方にハンデを負わせるなんて、不公平の極みだよねえ」

 一転して挑発。これで頭に血が上って、乗ってくるほど神内は単純な性格ではないと分かっている。私の希望的観測込みの読みでは、こちらの意図を承知の上で乗ってくるのが神内という神様のキャラ。そうだろう?

「折角、盛り上げようとしてくれてるんだし、乗らない手はないわね」

 今度は神内がほくそ笑むところが自然と想像できた。

「元々、一勝しただけでいいなんて、スリルを欠いているなあって感じていたのよ。しかも真の意味での勝負――対決と呼べそうなのはギャンブル戦だけで、他はこちらが一方的に出題するだけのようなもの。仮に退屈しのぎの遊びだとしても、面白みはさしてない」

 色よい返事が期待できそうな雰囲気になった。けれども続く神内の声は、ややトーンダウン。

「でもね、私一人で大きな変更は決められないし、持ち帰っても恐らく却下される公算が大だから、今できる最初で最後の譲歩案を出すわ」

 最初で最後……てことはどんな微々たる譲歩であっても、受け入れるしかない、受け入れた方が得だってか? まあ現在の神内の立場は前に比べれば位が下がっているようだし、こっちが欲張っても応えられる余地は少ないんだろう。どんな譲歩が飛び出すのか、神内の声を待った。

「勝ち越すチャンスが潰えた時点で、あなた達の敗北ということに変更するわ。それでいいわね?」

「……分かった。一敗してもセーフという解釈でいいんだな?」

「ええ、そうなる。もちろんその一敗を喫しただけで、余分な罰を与えるなんて阿漕な真似はしない。神の威光を示しつつ、可能な限り公平な勝負に近付けて、人間を完膚なきまでに倒してみせよう、これがあなたのやった分かり易い挑発への答よ」


 つづく

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