第98話 初めての話だという思い違い
(やむを得ない措置だったとは言え、生死を完全に確かめずに出てきたのは失敗だったかもしれない。翌日、生きていると分かって、パニックに陥りそうだったわ。記憶を部分的になくしてくれていたからよかったようなものの、いつ戻るかしれたものじゃない。早い内に何らかの手を打たなくてはと思っていたところへ、あの子――天瀬さん絡みの事件が起きて。私達のことを知っている人物の名前を岸先生から聞き出さない内に、彼に死なれたら困るんだから。次いで、警察まで出てきてやりにくくなってしまった。こうなると、先に私達の関係を知る人物の方を片付けるしかないじゃない。まさか、子供とは思っていなかったけれども……)
両腕で自らを抱きしめるポーズを取る柏木。ためらい、恐れる気持ちは当然、残っている。できることなら、都合のいい記憶喪失がまた起きてほしい。
(……遅いわね。女の長電話と言うけれども、まさか先生が来ていることもお構いなしに、しゃべってるつもり?)
様子を見に行こうかと、つま先が玄関口の方を向く。天瀬宅に出入りするところをあまり見られたくないのだが。
* *
時間を少し戻して、天瀬美穂が自宅の固定電話の呼び出し音に気付き、かかってきた通話に出たところから。
「はい、天瀬です――なんだ、岸先生か」
「何だとはご挨拶だな。聞きたいことができたから、電話したんだ。居てくれてよかった」
言葉のチョイスはのんきな感じがあったが、話しぶりそのものはどこか急いている。
天瀬は思い出した。
「そういえば先生、私に何か渡す物があったって?」
「うん? 何のこと?」
「またまたぁ。頭打った後遺症がぶり返してる? 柏木先生に言付けたんでしょう?」
「――今、いるのかい、柏木先生が?」
「来てる。家の前で待っているわ。車に荷物があるから、取りに来てもらいたいって」
「……」
「先生? 岸先生?」
会話が途切れ、反応もないので、「もしもし?」と言おうとした矢先、声が返って来た。
「鍵は掛けてるか?」
「鍵って、私の家のですか? うーんと、多分。習慣で掛けるから」
「それならまあいいか。先に確認だけど、先週の火曜日、お見舞いに来てくれたときのこと、覚えているかな」
「うん、もちろん」
「あのとき、柏木先生と教頭先生が一緒に食事しているところを見掛けたと言っていたね?」
「ええ、覚えてる。というか、柏木先生のこと悪く思っていたから、今ちょうど来られたので、謝っておいた方がいいかなって迷っていたところだよ。岸先生はどう思う?」
参考にしたくて聞いてみたのだけれども、返事は「それは後回しにして」とぴしゃりとシャットアウトされた。ちょっとむくれるのが、天瀬自身よく分かった。
教え子のそういう心情を知らず、岸先生は重ねて言った。
「先生二人を目撃した話をしてくれたのって、あのときが初めてだったかどうかについて、聞きたいんだ」
なーんだ、そんなこと。呆れながらも、やれやれといった空気をにじませて答える。
「――二回目だったよ。やっぱり、覚えてなかったんだ。二回目なのに、まるで初めて聞いたみたいな反応、先生するんだもん。頭を打って記憶喪失になっちゃってるんじゃないかって思った」
つづく
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