第312話 結局のところ子供に違いはない
「見え見えのばればれってか」
つい、自嘲の笑みがこぼれてしまう。別に恥じるところはないつもりだが、事情を知らぬ第三者が見ればさぞかし滑稽に映るに違いない。いや、滑稽を通り越して、気持ち悪いかな。二十代後半の男が、教え子である女児に執着する構図になるのだから。
「私ね、一つ見誤っていたことがあるのよね」
幾分唐突に神内が語り始めた。
「天瀬美穂を助けてって、あなたにメッセージを送ると決めたとき、きっとこの男はなりふり構わずにやり遂げるに違いないって感じた」
「どこが見誤っている? 必要であればそうすることに何のためらいもない」
不満で口を尖らせる私に、神内は落ち着くように言ってきた。
「私はもっと極端な状態を想定していたの。天瀬美穂さんを助けることにのみ一生懸命で、あとは適当に流す。もしくは、『どうせこの時代の岸先生のやったことになるのだから』と、ちょっとは無茶苦茶するかもしれないなあって、予想していたわけよ」
「無茶苦茶ってたとえばどんな」
「うーん、憎たらしい上司を殴ったり、岸先生のお金を散財したり」
「あのね。そんなことするはずないだろ」
まともに答えるの面倒だけれども、ひょっとしたら神と人とで感覚が大きく異なるのかもしれない。
「元々、憎い上司なんていないが、いたとしても、この二〇〇四年ではどうしようもない。わざわざ探し出すなんて非現実的だし、かといって岸先生と折り合いの悪い人を殴ってもしょうがないし。散財となると、もっとあり得ない。いつまでこの状況が続くのか分からないんだからな。お金で解決できないことはいくらでもあるが、ないよりはある方がいいに決まっている」
「じゃあ、普通、真面目な教師なら近付けないようなお店に入ってみるのは?」
「結婚前の最後の羽目外しでちょっと回ったが、一度経験しておけば充分だと感じたな」
「あの程度なら甘い。もっとスゴいお店がいくらでもあるわよ」
……何でも知ってるんだな、神様って。思わず、じと目でまじまじと見つめてしまった。
「なに、その物言いたげな目つきは」
「いや。こういう高級そうな店にはふさわしくない会話だなと思ったまでのこと」
「それもそうね。いくら私がこしらえた空間と言ったって、節度は保たなくちゃいけない」
芝居がかって口元をお上品に拭う仕種をしてから、神内はちょっと思い出す風に天井を見やった。
「そっちが変なところで反論してきたから、私の言いたいことが言えてないじゃないの」
いや、そっちこそ私が天瀬のことを思っていないみたいに言うからじゃないか。文句を付けられてもだな。――ま、腹を立ててもしょうがない。
「どうぞ、ご自由に言ってください。溶けかけのアイスを食べながら聞こう」
そう言って手に取った器はまだひやりとするほど冷たく、ジェラートも最初に目にした時点から溶け具合は変わっていないように映った。これもまた神の御業かな?
「私が見誤っていたと言ったのは、あなたが天瀬美穂さん一人だけに意識を向けるんだろうっていう想定よ。もちろん彼女が一番なのは揺るぎないでしょうけれども、他の子供達に対しても、可能な限り真摯に対峙しているように見える」
「当然だろう、教師なんだから教え子に対して、真剣に向き合うのは」
「教え子の勉強や学校生活、あと家庭のことにちょっと首を突っ込むぐらいならね。あなたの場合は、六谷の今置かれている状況に心を砕いてやっているし、よその学校の子の誘拐事件まで心配して、精一杯の対処をした」
六谷に関しては、ほとんど同じ立場に置かれた者同士、助け合うのが大切だと思ったのが一番大きい。だがまあ、放っておけない気持ちもあるにはある。
誘拐事件については、あの段階で子供の行方を想像できるのは、自分しかないないんじゃないかと感じたから、かな。
「たとえ話として適切かどうか自信ないが……医者が、道端で人が倒れたのに気付いたのなら、助けるのが当たり前だろう? 法律で決まっているわけじゃないから、見捨てたって罰せられることはない。でも、そのまま素通りできるような人間には、医者になる資格なんてないと思う。それと同じだ。何かできることがあったら動く、たったそれだけの原理原則だな」
口幅ったい言い種に、我ながら気恥ずかしくなった。相手からの視線を避けるように、アイスを平らげる。
すると神内の方からぱちぱちと乾いた拍手が短く聞こえた。
「からかってるのか」
「とんでもない。立派な心掛けと感心したの。改めて、そういう人物なら使命を任せても大丈夫だって、こっちも安心できる」
「普通、人物を見極めてから選ぶだろうに」
「前にも言ったけれども、そういう選定基準があったわけじゃないから。過去が変わって天瀬さんに危機が降り懸かると――」
「はいはい、分かった。思い出した」
私は最後に水を飲んで、ごちそうさまの仕種をした。するとまたもや、神内が冷やかし口調で言う。
「あらっ、そういった日本風の礼儀作法はちゃんとやるんだ? 教師だから?」
つづく
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