第258話 逆転したのかされたのかで大違い

 ぶつくさ言っている間も、彼女は筒を回し続けた。しゃかしゃかという音が一定のリズムを刻んでいる。

「どうしたんだ? そろそろ筒を伏せて、オープンと行こうじゃないか」

「――もしかして、あなたは気付いていたの? 思い通りの目が出せない原因に」

 神内が真顔で尋ねてくる。それは私の思考を読み取っていなかった証として認めてあげよう。

「思い当たったのはついさっきのことだから自慢にならないが、一応、仮説はある」

「話してみて。私が今気が付いたことと同じであるなら、別に話しても問題はないはずよ」

「……確かに言う通りだ。物凄くシンプルすぎて、どうして気付かなかったのかっていうレベルなんだが」

「そうよ、私も同意見だわ。気付かなかった自分が嫌になるくらい」

 どうやら本当に同じ考えに達しているようだ。

「神内さんの投げ方は完璧だと思う。ただ、上向きにした筒に投じていることを失念していた。それだけのことじゃないかな」

「……ええ。筒を伏せたら上下逆になることを忘れてしまうなんて、ばかだわ」

 それは敗北宣言のはずだった。しかし、彼女はまだあきらめきれないのだろう、左手の筒を動かし続けている。しゃかしゃかがやまない。

「1や6が狙い通りになったのは、この最後のサイコロを放ってから筒をひっくり返すまでの時間が短かったせいね、きっと。決まった投げ方をしてからサイコロの出目が確定するまで、筒を上向きにしていたら、最終的に天地が逆になるので出目も裏側の目になる。確定する前にひっくり返せば、そのあと狙った通りの目が出て、一番上に載るってこと」

「私もそう思った。さあ、そろそろ踏ん切りを付けてくれないだろうか。年貢の納め時ってやつだよ」

「……いいえ、まだよ」

 明白に苦し紛れと分かるが、彼女は笑った。

「何を言ってるんだ。狙いの目を外すことを期待しているのか? 自分では完璧な投げ方をしたんだろう?」

「もちろん。だからこのままでは2が出て被り発生、私の負け。でもね、この100パーセント負けの状態から、16.6パーセント強、ううん三分の一の確率まで勝てる可能性を引き上げられるとしたら、試す価値はあるでしょう」

 今一度、決死の微笑をすると、神内は筒を伏せた。

 そして激しくでたらめなリズムで動かす。軽快なリズムを刻んでいたしゃかしゃかは聞こえなくなり、代わってがちゃがちゃっというノイズになった。中で積まれつつあったサイコロのタワーを、自らの意志で崩したのだ。

「一体どういう」

「分からない? 急に鈍感になったふりなんてしなくてもいいでしょうに。これからもう一度積み上げていく。一番上の目が5もしくは3になることに望みを託してね」

 まだあきらめていなかったのか。この神様は思った以上に、勝負に執着する。

 でもその胆力に驚かされただけで、彼女が成功したわけではない。私は冷静にふるまうのみだ。

「あなたの言う通りだ。勝ち目ゼロから復活できる可能性はある」

 と、一旦認めておいて、

「だが、五投目は三分の一でいいが、次は六分の一だ。厳しいことに変わりはない」

 とプレッシャーを掛ける意味も込めて、落としてやったつもりだったが。

「おかしなことを言うのね。ひょっとして貴志先生、あなたも冷静さを欠いている? 次の五投目が成功すれば、六投目はほぼ百パーセント成功するわよ。表と裏の原理を理解した上で投げるのだから」

 そうだった。我ながら間抜けな発言をしてしまったと悔いる。

「ふふふ、ありがとう。今ので運気が巡ってきたわ」

 神が運だの何だの言うのかと訝ったが、神内は本心から言ったようだ。

「3は依然として出しにくそうだから、できればこの五投目で3の目が出て欲しいところ。それが成る絵が見えた気がする」

 筒の動きをぴたりと止めた神内。

 手応えがあったのかどうか、しばらくフリーズしたように固まった。

「早く、してくれないか」

 私は自分の声がとても遠慮がちになっていることに気付いた。それほどまでの緊張感が場の空気に満ちている。

「分かっているわ。積み上がったことは間違いない。あとは本当に三分の一の確率に賭けるだけ」

 それだけ言うと神内は息を詰めるかのように唇を噛み締め、筒を垂直方向へそっと持ち上げていった。

 スナック菓子の筒の陰からサイコロのタワーが姿を現す。確かにできていた。

 そうして最後に、一番上の目が露わになる。

「――3」

 下段の五つのサイコロに比べると、四十五度ほどずれてはいたが、頂きにあるサイコロは間違いなく3の目を上にしていた。

 やった!と小さく叫んで腕を震わせる神内。

 私の方はひやっとした物が胃の腑にじわりと垂れてきた気がした。認めたくないが、逆転負けの可能性が高まってきた。と、そこへ脳内に鳴り響くタイマーの音。

 そうだ、三秒間。

 私はサイコロの塔の先端をじっと見つめた。目線に念動力を込めることができるかのように。

 そしてそれは届いた、のかもしれない。

 てっぺんのサイコロがゆらっと傾き、あっという間に落下、机上を転がり、床へと飛び出した。


 つづく

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