第209話 どちらも正しいに違いない

 六谷とは夕方まで話し込んだが、彼の使命が何かということ及びそれを果たすための方法について最終的な結論は出せなかった。もちろん想定内ではある。話し合えたことそのものによる心理的な収穫の方が大きい。

 長時間いたファミレスを出る間際、六谷からこんなことを問われた。

「犠牲者名簿っていうのかな。多数の死者を出した大災害があった場合、そういうリストが公表されると思うんだけど、その中に九文寺という名字の人がいたかどうか、岸先生は覚えてない? 割と珍しい名字だし印象には残りやすいと思うんだけど」

 私は首を横に振るほかなかった。

「残念ながら……。まず死者・行方不明者の人数が非常に多くて、恐らく身内か知り合いでない限り、記憶に残らないと思う。すまない」

「ううん、いいんだ」

 六谷は多分作り笑顔になって応えた。

「先生の記憶に残っていないっていうことは、元々そういう名簿に九文寺という名前は載っていなかったからかもしれない。彼女が無事だっていう証拠だよ」

 そう思いたい気持ちは痛いほど分かる。が、使命は震災から九文寺薫子を救うことである可能性は極めて高いだろう。六谷だって本当は分かっているはずだ。

 明らかな無理ゲーに対処するには、大胆な仮説と行動、そして最悪に備える心構えが必須なんじゃないか。いざとなったら、こちらから動いて九文寺薫子の居場所を探し出す必要があるかもしれない。……仮に、興信所に調査を頼んだらお金がいくら飛ぶんだろう? 岸先生の懐を痛めるのは忍びないが、そのときはそうするしかないわけで。

 何にせよ、九文寺薫子とコンタクトを取れたとして、重要なのはそこからだ。地震災害の発生について信じてもらい、しかも七年後に行動してもらわねばならない。

 その辺りの意思確認をしてから、今日のところはお開きにした。六谷の母親から迎えに行きますという電話が入る五分前だった。


 六谷と深く突っ込んだ話をした日の夜。

 眠りに就いた私は夢を見た。と言っても例の天の意志が出て来るパターンではなく、普通の夢。

 二〇〇四年に送られてきてから、こういう普通の夢を見た覚えがあんまりない。見たとしても目覚めた瞬間、きれいさっぱり忘れている気がする。

 今回見た夢にしても、夢を見ている間は夢と気付かないでいたのかどうかは定かでない。ただ、起きたあとも覚えていた理由ははっきりしている。

 強烈なインパクトがあったためだ。

 それは地震と津波の被災映像だった。テレビのニュース番組を観ている感覚なのだが、それでも真に迫ってくるものがあって、徐々に辛くなってきた。いつどこで起きた震災なのかは、番組中には出てこないのだが、ほとんどは東日本大震災のときのものだったように感じた。

 そして亡くなった方や行方不明の方の報道があった。

 私は六谷の言葉を思い出し、「九文寺」の名がないか注意して見ていたが、じきに分からなくなった。というのも当初は個人個人の名前と大まかな住所を発表していたのが、犠牲となった人の数が増えるに従って地域と人数だけになっていったのだ。当該地域のローカル枠ではなく、全国放送ではこんな扱いだったっけ? 人の死が記号化されていくようで薄ら寒さを感じずにはいられなかった。

 同時に気付かされた。

 大勢が亡くなる震災で、六谷と私は久遠寺薫子とその身内の者だけを助けようとしている。限られた者だけを救おうとするこの行為は適切なのか。果たして許されるのか。

 ここで目が覚めた。まだ夜明け前だった。


 ことの是非について寝床を出る前から考え、今も考えている。そして結論は出せないでいる。

 感情的には全員助けたい。議論の余地はない。もっと言えば、対象となるのは東日本大震災にとどまらない。今後起きる、私が覚えている限りの事件事故災害について触れて回り、犠牲者を最小限に食い止めたい。

 そういう気持ちが強く沸き起こった一方で、どこまで過去に介入してよいのかという不安がある。私にとって東日本大震災はすでに起きてしまった歴史だ。あの日あの時刻に起きると分かっていても、地震の発生そのものは絶対に止められまい。そこは覚悟しなければなるまい。

 ならば犠牲者・被災者をわずかでも少なくしようと動くことは、歴史の改編となり、その後に続く二〇一九年までの歴史にも影響を及ぼすのだろうか。

 極端な例になるけれども、震災で亡くなるはずだった人物が生き残り、後に大量殺人を引き起こすなんていうことが起きたとしたら。

 あるいは逆に、震災で亡くなるはずだった人物が将来、医学的に優れた発見・貢献をし、大勢の命を救うとしたら。

 可能性を考え始めたらきりがない。


 時間の流れとか次元とかの概念が、実世界でどうなっているのかの知識は私にはほとんどない。物の本で読んだおぼろげな記憶を掘り起こしてみると、過去から未来まではつながった一本道だとする考え方と、人々が選択する度に世界が枝分かれしていくパラレルワールドだとする考え方があったように思う。それぞれ過去に介入した場合はどうなると見なされてるんだっけ……。前者はバタフライエフェクトとか言ってほんのちょっとした変化でも波及して世界を変えるほどの大ごとにつながり得るとする説と、少々の変化なら時間の渦に飲み込まれて未来に影響は及ばないとする説があったような。後者は過去に介入するのも選択の一つだから、パラレルワールドが増えるという説明だったっけ。

 では、自分が今置かれている世界がどうなのか、無理矢理にでも推測すると……。


 つづく

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