第57話 読み違い?
「いちゃいちゃ見せつけるんじゃあないっ!」
男のものだが、甲高い声が降ってきた。――と思う間も実際にはなかった。ただ、襲撃者が声を上げながら襲って来たのは、不幸中の幸いというやつだ。黙ってやられていたら、どこまで効果的な反応ができたか怪しいものだった。
「くたばれっ」
とっさに天瀬の腕を引いて歩道橋から遠ざける。身体の前で彼女を包み込み、私自身が盾になる。襲撃者に対して背を向けざるをえず、どんな攻撃が来るのか分からない。それだけが恐ろしかった。
長く感じたが、実際には三秒もなかったかもしれない。
右肩口に痛みが走った。
ぐぁという自らの声と、天瀬の小さな悲鳴を聞いた記憶がある。
ほどなくして痛みの感覚は鋭いものから焼けるようなそれに転じ、流れる血と一緒にじわりじわりと広がっていく。そんな何とも言えない、見えないが故の気味の悪さがあった。
第二撃に備えて向き直り、天瀬を背中側に回す形になった。ここでようやく相手の得物が多機能ナイフ、いわゆる十徳ナイフとか五徳ナイフと呼ばれる代物であると認識できた。刃渡りは大して長くない。これならどうにかなるか?
そして襲撃者の顔に意識を向けると、そいつは日曜日に目撃したあの男に間違いなかった。
「やっぱりおまえか! また会ったな。警察にはもう言ってあるぞ!」
私は虚勢を張って恫喝した。もちろん警察にはまだ何も言っていないのだが、相手が若干怯むのが伝わってきた。攻撃を続けるか逃げるか、迷いが生まれたに違いない。
私は左手で右肩を触った。血で濡れる感触があったが痛みは思ったよりもない。興奮状態にあるから麻痺してるんだろうが、まだまだ動ける。
相手の男が攻撃してこない確信を持てたら、天瀬に逃げるように言うんだが、現状では判断が付かない。天瀬一人にすることで、男がそちらに向かって突進する恐れはある。かと言って、男を追っ払おうとした結果、逃がすのもまずい。危機が続いて悩まされることになる。ここは捕縛が一番だが、果たして自分にできるのか。平日のやや早い夕刻。援軍は期待してはいけないようだ。意を決した。
「どうした、来いよ」
両腕を広げ、手の平を上向きにしてから、指をくいくいと動かした。
「おまえはもう終わりなんだ。逃げても捕まる。どうせなら、憎い俺をもっと傷付けたいだろ? 違うのか?」
犯人が予告めいた手紙を投じた理由は、天瀬の護衛に私が付くことを望んだものだったからではないか。そうして、天瀬の目の前で私を痛めつけた上で、彼女を連れ去る。――そんな風に想像が働いた。犯人がそのつもりだったら、今の私の挑発に乗って、掛かってくるに違いない。
案の定、男は動いた。「うらー!」とも「うわー!」ともつかない雄叫びと共に、ナイフを構えて、突進してきた。
「天瀬っ、逃げろ!」
鋭く命じた。背後から天瀬の気配が薄まり、消える。
犯人は委細かまわず、私めがけて突っ込んでくる。突き出される右腕を掴んで止めようとしたが、火事場の何とやらか、ぐんと押し込まれる。相手の握った刃物の先が、左胸近くに刺さった。
結構な衝撃だ、な……。
つづく
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