第58話 ケビン・コスナーとは違うけれど

 私は倒れぬよう踏み止まって、そのまま相手の右手首を捻った。次いで肘を逆関節に曲げてやり、体重を掛ける。襲撃者を俯せの状態に、組み伏せた。ナイフは男の手からとうに離れ、私の胸の辺りに刺さったままになっている。

「天瀬っ、無事か? 聞こえるんなら、人、呼んできてくれ!」

 そう頼んだのだが、どうやら必要なかった。押さえつけるのに必死で、辺りがよく見えてなかったが、ようやく何名かが集まりつつあったのだ。

「ああの」

 学生らしき二人組の男と、コンビニエンスストアの制服を着た中年男性が近くにいて、声を掛けてきた。大学生風二人組には通報を頼み、コンビニ店員には、ガムテープかダクトテープがあれば欲しいと告げた。

 すぐに持ってきてくれたガムテープで、店員と二人がかりで犯人を後ろ手に縛り上げた。

 ようやく立ち上がれて、天瀬の姿を探す。と、彼女の方から人垣を割って現れるや、「きゃーっ」っと絹を裂くような悲鳴を上げられてしまった。

「せ先生、胸に」

「これか。怖がらせてすまん。太ったおかげで問題なく助かったんだ」

 私はジャケットの前ボタンを外し、裏側を見せてやった。そこには上川先生からいただいたばかりの雑誌を、甲冑の栴檀板せんだんのいたよろしく貼り付けておいた。

 うん? 左胸だと、九尾の板だっけか。

 得意満面になって天瀬を見やると、彼女は全身から力が抜けたみたいで、その場にへなへなとへたり込んだ。

 ジャケットを脱いで大事な証拠を確保してから、彼女に近付く。

「大丈夫だったか。よかった」

「――ばか! 心配させないでよ! 先生のくせに!」

 あらら。怒られちまった。ま、仕方がない。涙ぐむ天瀬の頭をポンポンとやると、彼女は嫌うでもなくまた立ち上がった。遠くの方から、パトカーだか救急車だかの近付いてくる音がした。

「怖かったんだから」

 どこかしらすねた口ぶりで言うと、私にはそっぽを向けたまま、ぴたっとしがみついてきた。少しだけど、震えているのが伝わってくる。私は再び彼女の頭に左手を乗せ、よしよしとなでてやった。

「すみません、どなたか電話を」

 私は近くの人に電話を借りて、天瀬の母親に連絡した。季子さんも早く安心させなくてはいけない。まだ仕事場かもしれないが、ちょっとでも早い方がいいだろう。

「――もしもし。岸です。今、他の方の電話をお借りして掛けています。あ、お嬢さんの身に何か起きたというわけではありません」

 なるべくマイルドな表現を選んで状況を伝える。説明しながら、あとは学校だな、どう話すのがいいだろうかなんてことにも頭を巡らせていると……。

「あれ?」

 自らの視線が下がった。どうしたんだろうと思うと、次に膝から力が抜けていくのが自覚できた。

 ああ、肩の怪我、忘れていた。

 指先での感触以上に、血がさらさらと流れ出ていたようだ。立ちくらみに似た眩暈に襲われ、私は一瞬、膝をつき、そのしゃがみ込んだ勢いのまま、後ろにひっくり返った。

 救急隊員の白い服と、赤のラインの入ったヘルメットが見えたような気がした。


 つづく

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