第269話 予定が違ってきた
「いや、全然だめじゃない。ただまあ、夏休みのあともお父さんは単身赴任に行くんだよね」
「うん」
「天瀬さんと長く一緒にいることになるお母さんに、話を聞いてほしいなっていうのはある。だから、お父さんには面談で話した内容をお母さんにしっかり伝えてもらえるよう、君からもしっかり言っておいてくれないか」
「分かったわ。あ、そのことなんだけど、本音を言えば両親揃って面談に行きたいねって言ってた」
「お父さんとお母さんの二人揃ってか」
私は未経験だけれども、二親とも参加するという前例がないわけではない。こちらの希望としては、季子さんにより伝えたいんだし……考えてみるか。難しければ、家庭訪問で補うという手もあるだろう。
一人の児童を特別扱いしているように見えるのもよくないので、その辺は注意して――って、何だか胃が痛くなってきた。心理的なものだろうけど。もしかすると将来、天瀬の両親にご挨拶に伺ったときの記憶が呼び覚まされて、胃に来たんだろうか。未来の出来事を思い出すというのも変な言い回しだが、事実そうなのだからしょうがない。
「先生、もういい?」
「あ、ああ。あんまり学校に長居してないで、明るいうちに帰るんだぞ」
「大丈夫。お昼ご飯食べないなんて、あり得ないから」
両手ガッツポーズを見せた天瀬は、向きを換えて友達のいる方へと戻っていった。
私が付き合っていた頃の天瀬はダイエットなんかとは基本的に無縁だったようだけど、一度、滅茶苦茶不機嫌になられたことがあったっけ。デートの帰りに彼女の靴のヒールが取れてしまって、彼女をおんぶしたときに私がふざけて、よろめきながら「おもっ」と言っただけなのだが、しばらく口を利いてくれなかった。こちらが話し掛けても何も返事してくれないし、途中で怖くなったな~。自分は何を背負っているんだろうって。結局、家まで送り届けた際、平謝りして、後日ケーキバイキングか何かに同行して、機嫌直してくれた。
なんてことを思い起こしつつ、教室を離れた。しばらくは面談と学校交流行事に意識を向けよう。
いつもに比べて長めの会議を終えて、お疲れ様会に参加。これ、教職員みんなでランチを摂るという非常に健全なもの。夜の飲み会が不健全とは言わないが。
もちろん自腹なので、あまり豪華で高価なところは困る。お金が出ていくのは岸先生の財布からとは言え、好き勝手に使えるものでもない。等と心配していたのだけれども、そこは同じ先生同士ってことでよく分かっているのか、行き先はランチにビュッフェ方式を採用しているファミリーレストランだった。そこの個室と言っていいのかな、畳の部屋を借り切って、気安い雰囲気の中での昼飯となった。
「じきに交流行事ですが、準備の方は万端ですかな」
数種類あるサラダを少しずつ皿に取っていると、伊知川校長が話し掛けてきた。教頭の役目もこなして日々忙しいはずだけれども、エネルギッシュな雰囲気はちっとも変わっていない。その証拠に、校長の持つプレート皿には肉類が重ねるように盛ってあって、野菜は申し訳程度にしかない。
「万端と言えるのかは自信ないですが、やれるだけのことは」
「それは結構。……ところでそんな岸先生の志気を削ぐような話をして済みなく思うのですが」
「え? 何です?」
こんな話の切り出し方、校長にしては珍しいような。
「決定事項ではなく、他言無用でお願いしますよ。昨日になって富谷第一さんから今回分の交流行事は延期もしくは中止にしてもらう可能性があるとの旨、連絡がありましてね」
「それはまた急な……」
頭の中で、考えていた算段がぐらつくイメージが浮かんだ。
「どういう理由で先方はそんな話を」
「詳しくは教えてもらえなかった。ただ、仄めかしをしてくれたので、何とはなしに察しを付けたというのが実情です」
ふと気付く。伊知川校長が、いつになく真剣な顔つきをしていると。普段が陽気なラテン系ののりだとすると、今は冬の寒さに耐える北欧の農民か漁師といった風情が感じられる。
変に緊張してきた私は、空唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「臨時で全校集会を開くことになりそうだということと、児童に与える心理的な影響を考慮したいというようなことを述べていたので、恐らくは児童か教師が何らかのトラブルに巻き込まれた、もしくは逆に事件や事故の源になったのかもしれない。きつい表現を取れば加害者側になったと。そういう事態になっていたのが、一応の目処が付いたので全校集会を開くと言われたんだと思う。どうです、私の推理?」
「ど、どうですと言われましても。あ、ただ、まだ夏休みに入る前から事件や事故というのは、何となく腑に落ちないというかピンと来ないというか」
「ふむ、一理あるな。でもね、現実的な話として、教師や児童の一人が交通事故に遭ったぐらいでは、交流行事の延期や中止を検討するなんてこと、まずないでしょう。情のない言い方になるが、一人よりも全体です」
つづく
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