第351話 場違いな人物との再会

 いや、これはよくない傾向だ。一番楽な結び付けをしてしまうのは、答を早く欲しがっているからだ。冷静さを保とうと、冷たくなる物・涼しくなる物を思い浮かべた。クーラー、かき氷、プール、扇風機、アイスクリーム、冷却シート……。

 あのコートの人物は天瀬宅に用事があるとは限らない。善良なご近所さんか、単なる通りすがりかもしれない。季節外れの異様な格好にしたって、南半球からの旅行帰りで着る物がないだけかもしれない――と、他の可能性を探ってみたが、用心に越したことはないとの考えが勝った。私は自転車をゆっくりと漕ぎ出し、相手とすれ違う道を選択した。

 乗り慣れてないふりをして、ハンドルを右に左にがくんがくんと切りながら、スローペースで進む。すれ違う前に相手の顔を見ておきたい。そこで私は警笛代わりのベルを鳴らした。ちりりんと涼やかで高い音が響く。

 真正面ではないせいか、相手の反応は若干遅れたが、それでも顔を上げた。

「あっ」

 その人物――その男の顔に、私は見覚えがあった。

 そして相手もまた、私を覚えていたらしい。

「――あれ? あなた……どこかで見たことあるような。ああ、先生でしたね?」

 ぶつぶつ言うのが耳に届く。男の顔には疲労の色が濃いものの、懸命の笑みを浮かべるのが見て取れた。その表情のまま、とぽとぽと足をこちらに運んできた。私はいくらか安心して、自らも自転車に乗って彼に近付いた。ただし、渡辺弟などの不審者と比べれば安心できる、という程度なので警戒は解いていない。

「ええ。岸未知夫です。あなたは杉野倉さん、でしたっけ」

 松竹梅の杉の……と付けてやろうかという考えがちらっとよぎったが、やめておいた。相手の持ちネタをこっちから振ってやると調子に乗りそうだ。

「はい。杉野倉英二です。その節はご迷惑をお掛けしました」

 立ち止まり、深く頭を下げる杉野倉。関西の人間らしいイントネーションが残っているが、丁寧な口ぶりだ。見るからにへとへとにもかかわらず、きちっと唇の両端を上げてスマイルをこしらえている。

 修学旅行先でたまたま関わりを持ったが、それ以来だ。KWという有名な芸能プロダクションで、スカウトをメインにしているとのことだった。あのとき受け取った名刺はどうしたっけ。持ち歩いていないのは確かだ。

 それよりもこの男がここへ姿を現した目的は何だろう。関西からこっちに、仕事で来たのは容易に想像が付く。まさか私との再会が偶然とは考えられない。つまり、彼はスカウトマンとして天瀬美穂を改めて勧誘しに来たってか? 留守と知らずに来たみたいだから、アポなし訪問のようだ。

 いやいや、それ以前に、どうして天瀬の家の住所を知っているんだ? 修学旅行で会ったとき天瀬は彼に名前を言ってしまっていたし、杉野倉は学校の校章も目にしている。だから調べることは不可能ではないだろう。だが学校に問い合わせても教えるはずがないので、せいぜいこの校区のどこかという辺りまでしか分からないはず。真っ当な方法でならそこまでが精一杯。しかし真っ当じゃない方法を採ったとしたら?

 私の中で、警戒の強さを示すメーターが上がった。修学旅行のとき喫茶店で、うちの児童に勝手にコンタクトを取らないでくれと暗にお願いしたつもりだし、それを反故にされたのだから、いきなりけんか腰に出ることもちらと考えた。が、ここはこらえて、探りを入れよう。道端で騒いだら岸先生の評判にも関わりかねないし。

「杉野倉さん、その格好はどうしたんです? それに随分お疲れのようだ。そもそも、お住まいは大阪ではなかったでしたっけ?」

「あっ、そこはよう誤解されるんです。大阪生まれの大阪育ちとは言いましたけど、仕事の関係で住まいは両方にあるんです」

「両方?」

「はい。住まい言いましても一軒家ではありませんよ。会社の寮みたいなとこです。東京本社と大阪支社の。同じ地域でスカウトするよりも、色んな地方を回る方が金の卵、宝石の原石に巡り会う確率が高くなるだろうという目算です」

「はあ」

「あ、“宝石の原石”は二重表現でよくありませんか? それとも確率の考え方が間違っていると。先生を相手に話すのは緊張するなあ」

 私の反応が鈍かったせいか、杉野倉は急に話を脱線させた。基本的におしゃべり好きらしく、立ち話を始めてからものの一分と経たぬ間に、元気になったように見えた。

「いや、仰りたいことは充分に伝わっていますので、とやかくは申しません。要するに杉野倉さんが今ここにいらっしゃったのも、お仕事なんですね?」

「はい、まあ、そうなります」

 これまた急に歯切れが悪くなった。視線をすっと外したところを見ると、喫茶店での私とのやり取りを思い出したのかもしれない。

「こんな住宅街を、スカウト目的で回るものなんですか。おかしいような気がするんですが。普通はもっと賑やかな場所で声を掛けるイメージがある」

「すみません。まさかあのときの先生とここでまた遭遇するとは思っていなくて、動揺しています」

 謝るのはいいが、話をそらしに来たのが丸分かりだ。私はしかめ面になった、と思う。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る