第350話 冬と間違えたかのような

 うーん、さすがにそこまで詳細さを求めるには無理があるか。まあいい。死神が夢の中で引き連れていた従者とやらの正体に、おおよその当たりを付けることはできた。

 恐らく、渡辺卓夫と坂田正吉だ。そう、天瀬に関心を抱き、私達を襲った襲撃犯・渡辺、その関係者二人である。


 長谷井との電話を切り上げ、彼の母親から「大丈夫でしょうかしら。何だかおかしな言葉が断片的に聞こえて来ましたけれども。死神とかどうとか」などと心配げに尋ねられた。私としてはご心配にはおよびませんと言うしかあるまい。

 その後、買い物は最初に予定していた通りに済ませ、さっさと帰宅した。まだ日は高かったが、夜まで待つ必要はないと判断し、神内を呼び出すことにしようと布団を敷き直した。

 けれども、まだ夕方にもならない時間帯に布団に潜り込んだからと言って、簡単に眠れるものではなかった。そもそも、神内達が約束を破ったんじゃないかという怒りをこちらは抱えているわけで、少なからず気が昂ぶっている。眠気を呼び起こすために、酒や風邪薬などを接種するのも躊躇われた。教師が明るい内から酒を飲んでいるところを万が一にも誰かに見られたら、何を言われるか分かりゃしない。しらふで寝床に入って、病気かと心配される方がましだ。

 と、粘ってみたものの、いっこうに寝付けない。四十分近く経ったところでさすがに馬鹿らしくなり、薄手のタオルケットを跳ねのけた。神内への抗議は後回し、本格的に夜になってからだ。となると、現時点で優先すべきは……まさかとは思うが。

 今このタイミングで、現実世界でも渡辺貞夫と坂田が行動を起こしたかもしれない? 考えすぎだと思いたい。だが、この手の想像は一度思い浮かべてしまうと悪い方向へと際限なく広がる。それに今日、のんきに買い物に出掛けていた事実が負い目となって、私の肩にのしかかってきた。渡辺弟や坂田の動向を見に行くのに、時間を使うべきだったのではないか。私は再び外出する仕度に取りかかり、慌ただしく終えた。

 自転車に跨がり、天瀬宅まで様子を見に行く。この二ヶ月ちょっとで随分と足腰は鍛えられた。脚力には自信が付いたから飛ばせるだけ飛ばしたい、が事故らないように注意しなければ。こっちの時代でも交通事故に遭うなんて笑い話にもならないし、神様との四番勝負を欠場する羽目に陥る可能性だってある。

 もちろん、私が見守ろうと天瀬の家まで行ったところへ、ちょうど渡辺弟らがやって来るのに出くわした、なんて偶然は期待していない。虫の知らせならぬ神の知らせかもしれない、ただそれだけの根拠で様子を見に行く。気休め、自己満足に過ぎない。だいいち、天瀬が帰宅しているかどうかも電話で確かめてこなかった。

 彼女の家が見通せる位置まで来ると、自家用車がないことが分かった。今日は遠出しているんだろう。出先で襲撃を受ける恐れも皆無ではないだろうけれど、それをやるには襲撃する側は何日間も見張って追跡する必要がある。一般的な社会生活を送っている人間なら、そんな暇は簡単には持てない。せいぜい、盆休みに入ってからじゃないか。問題は二人が一般的な社会人と言えるかどうかだが……確か、渡辺弟は建築作業員で坂田は塾講師だよな。日雇い労働者とか非常勤講師なら多少は時間の融通が利きそうだけれども、それならば三森刑事があのとき電話口で、「日雇い労働」「非常勤講師」と言ってくれるんじゃないかと思う。多分、二人とも正規の社員だ。

 多少こじつけ感があるのは認めるが、論理的に考えようとすることで少しは落ち着けた。ハンカチを取り出し、額を拭う。

 改めて注意喚起のためのメモ書きを、郵便受けにでも残しておこうか。それとも必要以上に怖がらせるのは避けた方が吉か。何しろ今の天瀬は、夢で見た死神に怯え、悩まされているはずだから。

 決めかねていると、自分自身が不審者に見えないか、ふと心配になる。夏の午後遅く、自転車に跨がったまま、住宅街で立ち尽くす男……。私は自転車を降り、手帖を取り出そうかまだ迷った。

 そのとき、私のいる場所とは通りをワンブロック分挟んだ向こう側に、ぽつんと人影が見えた。えっちらおっちらという擬態語が聞こえて来そうなくらい、頭の高さが上下している。疲れているのか、足取りが気怠げだ。

 それだけなら私の注意もさほど引かれなかったに違いない。その人影が注目せざるを得なかったのは、風体にある。

 真夏だというのに、その人物はベージュ色のコートを着て襟を立て、さらに煮た色調の帽子を目深に被っている。顔は伏せがちであるため、人相は分からないし、背の高さも見積もりにくい。ただ、先に記した足取りと相まって、力強さは感じられない。

 以前、渡辺を初めて目撃し、すれ違ったときの感覚に似ている。危険とまでは行かなくても、何とも言えない違和感が緊張感へと変化する。

 私は直前までの思考から連想して、もしかすると渡辺弟か坂田が現れたのではないか?と考えた。


 つづく

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