第215話 見間違いではなかった

「そりゃもちろん。ていうか担任の先生って、そんなとこまで注意して見ているのかぁ。びっくりした。うっかり恋愛話できないなー」

「それも担任教師の務めだからな」

「まさか。冗談でしょう?」

「真面目な話だよ。大きな声では言えないが、日々、受け持っている君達の関係には目を配っている。恋愛だけじゃない。要するに誰と誰とが仲がいいか、誰と誰が組んだら能力を発揮できるかを見てるんだ」

「へえ。じゃあ、席替えのときも新しい席順は先生が決めたらいいのに」

「ああ、それも面白いかもしれない。ただ、今の話は堂園君が転校するから明かしたことであって、児童には普通、積極的には言わないんだがな」

「ていうことはこの話、みんなには内緒なんだ?」

「そう。口外無用で頼むぞ」

「分かった。先生も言わないでよ、僕の告白話」

「当然だ」

 堂園との会話は思い掛けず長引いた。予鈴が鳴る寸前でやっと終わったほどだった。


 夏休みに入ってすぐに、学校間の交流行事というものがあると聞かされた。もう何年も前から続く恒例行事で、年に三度ほど(こちらから相手の学校に出向く、相手をこちらの学校に迎える、お互いが第三の地点に集う)催されるという。

 今回は代表児童八名が出向いて、相手方の八名とディベート大会をやるとのこと。堅苦しいものではなく、NGワードが定められるなどゲーム性の高い一種のイベントらしい。

 問題になっていたのは、こちらの児童を引率する先生だ。当初、弁野教頭と柏木先生、そして万が一体調を崩した者が出たとき安心できるようにと保健の吉見先生が着いて行く予定になっていたそうなのだが、何だかんだあって教頭と柏木先生がお辞めになった今、二人の代役を立てなければならない。

 白羽の矢を立てられた一人が私、いや、岸先生と言うべきか。若くて体力があり、夏休み暇なんじゃないの?という理由で選ばれたのかと思ったが、そこまで適当ではなかった。

「代表児童に二人、岸先生のクラスから入っていますからね」

 あってしかるべき決定ですよと言わんばかりの口ぶりで、吉見先生が教えてくれた。

 私、貴志道郎としては交流行事に関わった経験が一度もなく、そもそも十五年後に勤めている小学校でもその手の行事はやっていなかった。だから当初は断れるものなら断りたいと考えたのだが、岸先生自身もこれまで未経験だと分かり、それならばと引き受けることに決めた。岸先生が経験者ならば、経験のない私がちぐはぐな応対をしてしまわないか気懸かりでならないが、正真正銘の初心者として参加できるのであれば問題あるまい。

 加えて、うちのクラスから代表児童に入っているのが天瀬と長谷井である点も、引率を引き受けた大きな理由だ。むしろこれが全てであると言っても過言ではない。

 さて、その交流行事をおよそ一ヶ月後に控えた本日放課後、代表児童の全員と引率教員三名が一つの教室に集まった。リハーサルのためである。

 いくらゲーム性の強いイベント的ディベートとは言え、ぐだぐだになるのは避けねばならぬ。また、一応どちらかが優勢だったかの判定が下されるので、勝利を狙えるようにする。遊びだろうと何だろうと、真剣にやらねば面白くない。

 とは言っても、ジャッジするのは相手側の児童約百名と教員三名、そして私達引率してきた側の教員三名によるというから、アウェイ感が半端ない。

「教員は一人一票。これに対し児童は百名で三票の枠が与えられるが、百名の多数決で優勢だった方に二票、劣勢だった方に一票が入る仕組み――ですって」

 吉見先生が印刷物に記載のルールを声に出して読み、私に話し掛けてきた。子供達にはとりあえず『学校への漫画持ち込み』をテーマとして、賛成派と反対派に強制的に分かれて議論させている。その様子を見ながら、我々も対策を練るわけだ。

「テーマとそのどちら側に立たされるかによっては、勝ちもあり得ますよね、これ。今試しにやっているテーマなら、持ち込み賛成に傾く子供が多いかもしれません」

「ですね。あちらさんが子供達に『何があっても我が校に入れろ!』なんて言ってない限り。ところで吉見先生は同行されるの、初めてじゃないんでしょう?」

「はい、何度も着いて行っています。あ、ディベートは開催自体が今回初めですから」

 なるほど、そういうことか。

富谷ふだに第一さん提案の行事だから、自信があるんでしょうな」

 連城先生が言った。彼がもう一人の代役である。ベテランが加わってくれることは心強い。

「聞くところによると、あちらには英語の特別授業があって、ネイティブの先生がおるらしい。欧米の人間はディベートに強いイメージがあるが、もしかするとその外国人教師が子供らを相手に特訓をしているのかもしれない」

「困った。うちは欧米の教師は一人もいない」

 私は冗談半分で言ったのだが、連城先生はそこそこ本気で受け取ったらしく、「校長先生に頼んで臨時コーチ役として呼びますかな」なんて言う。いや、連城先生のご面相だと何でも真剣に見えるが、多分ジョークで返されたのだ、うん。

「代表児童の中に、欧米の子がいたりして」

 吉見先生がそう言って、資料をめくった。そこにはディベートに参加する向こうの学校の面々が名簿の形で記載されていた。ざっと目を通すが、片仮名表記の名前はない。当て字で漢字表記をしていないとは限らないし、そもそも字面だけ見て日本生まれの日本育ちと決め付けるのも問題あるが、とにかくいかにもな西洋系の名前の児童は見当たらなかった。

「――あれ?」

 元のページに戻ろうとした矢先、私は既視感に囚われた。今見た文字列の中に、以前どこかで見た文字の並びがあった。

 子供達の練習の成り行きが気になったが、私は名簿を再度見てみた。

(――あっ。これか。記憶に残っているのも道理だ。それにしても何という……)

 私はリストの中程にあった六年生女子の名を、指でなぞっていた。


  九文寺薫子


 そこにあったのは間違いなく六谷の将来の彼女の名前だった。


 つづく

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