第182話 仮説が間違っていたらどうしよう

 ……もし仮にだが。

 私がこの二〇〇四年に送られて来たがために、天瀬が他の男と結ばれるルートに歴史が切り替わったとしたら、泣くに泣けない。

 今日こんにちまで、天瀬が長谷井を筆頭に他の男子と仲よくお喋りしようが手をぎゅっと握ろうが、温かい眼差しで見ていられたのは私に余裕があったからだ。小学生のすることだからというのもあるけれども、それ以上に、天瀬美穂の将来の旦那は自分であるというルートに自信を持っていた。

 無論、これまでに幾度か繰り返し考えてきた通り、絶対に変わらない確定事項であるとして安穏と構えていたわけじゃない。変化する可能性はあるという想定の下、天瀬が将来進む道が大きく変わりそうであれば、これまでもこれからも意図的にストップを掛けるつもりだ。

 ただ、彼女を危機から救ったことが、間接的にでも他の男子との距離を縮めるような事態になるとまでは、考えもしなかった。

 物事の連鎖が下手に並べたドミノみたいに思わぬ方向に倒れて、予想外の事態が発生する場合もそりゃあるだろう。だがそれは“まぎれ”であり、誤差の範疇に入るんだと踏んでいた。

 何の本だったか忘れたが、時間の流れは強大なうねりのようなものなので、ほんのちょっと過去が変わったくらいでは、元の状態に戻ろうとする力の方が圧倒的に強く働くとか何とか。今の時点での私の考えは、これに即している。何故なら些細なことで大きく未来が変わりかねないのであれば、天の意志だか神様だかも、おいそれと未来の人間を過去に、それも一人のみならず二人も送り込んだりはしまい。いくら理不尽な存在でも、馬鹿はしないはず。

 なのに、天瀬と長谷井の仲が進展したと聞くと、うねり理論は私の独り善がりの妄信に過ぎなかったのかと不安になってくる。天の意志にとって、人間一個人の恋愛事情・結婚事情なんて取るに足らない物事であり、誰がどう引っ付いたり別れたりしようがどうでもいいのだと言われればそれまでなのかもしれないが……だとしたら、その割に、人間の命を気に掛けてくれているし。

 こんな思いを味わうと分かっていたら、昨日の夜見た夢の中で、私と天瀬美穂との将来が保証されるのかどうかも聞いておけばよかった。失敗したなー。


「それじゃあ、あれは何だったのかな」

「あれって?」

 気を取り直しつつ、私は聞いた。職員室前の廊下に、彼女と二人長々と立ち話すると目立ちそうなものだが、案外誰も気に留めていない気がしてきた。担任と副委員長が話しているのは、ごく当たり前の光景ってか。

「今日、天瀬さんの周りに男子がいつもより大勢集まっていたのは、長谷井君の仕業だと見てるんだが――」

 実際は当の長谷井から直に聞いて知ってるのだが、そこは一応、伏せるとしよう。

「委員長の仕業だとして、何故、あんなことをしたのかも気になっているんだ」

「私が知っていると思ったんですね、岸先生は」

「ああ、そうじゃないのか。長谷井君が天瀬さんのためにやったということくらい、想像が付く。まさか当人に理由を伝えずにやるわけないしなあ」

「あれは、確かに委員長から言ってきたものよ。けれども、私が頼んだんじゃないからね」

 おいおい、天瀬から頼んだとか、そんなことまで言った覚えはないのだけど。小学六年女児としては、男の子を周りに侍らせているようなイメージは拭い去りたいという気持ちの表れかな?

「つまりあれは、長谷井君のお節介だってことだな」

「お節介……まあ、そうなる。元々はね、私が言ったことをひろーい意味で受け取ったんだよ、委員長が」

 また勿体ぶるなあ。でも恐らく、水族館での出来事とつながっているのは100パーセント間違いない。思い出すのがつらい事柄かもしれないので、こちらは気長に待とう。

「……こういうとまた岸先生にまで心配掛けちゃうかもしれないんだけど」

「もういい加減にしろよ。気にしなくていいよって言ってるだろう」

「うん。犯人とよく似た人が近くにいたことを、思った以上に引きずっちゃって。つい、愚痴をこぼした。『トラウマになって男の人が怖くなりそう』って」

 なるほど。理解した。

 その台詞を好きな人から聞いたら、男としてはたまらなくなるわな。

「これを聞いていた長谷井君てば、『そいつは一大事だ!』って感じになって、友達の男子を呼び集めた。先生は全部は見てないと思うから言うけど、みんな色々楽しませてくれたのよ。楽しませるっていうか、笑わせてくれる感じだけどね。つまんないのもあったけどさ。すべってるのがおかしいって言うか」

「そうか、楽しめたのならよかったな。おかげでもう男の人も怖くなくなったんだろ?」

「分かるの、先生?」

「もちろん。だって今、僕と普通に話せているじゃないか」

 私の指摘に対し、天瀬は一瞬きょとんとなるも、すぐに察したようだ。舌先をちろっと覗かせて言った。

「――だよね」


 ……あまりにかわいらしいその仕種を目の当たりにした私が、精神的に悶絶しそうになったことは内緒だ。


 つづく

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