第314話 間違った芽は摘まねばならぬ
そう考えればいいのか。単純だが納得の行く解釈だ。
「最後は悩み相談室みたいになってしまったな。話を聞いてくれて、いや、呼び出しを受けてくれて感謝している」
「別に、当たり前の対応をしているだけよ。賭けに負けて約束したことだから。それよりね、そこまで天瀬さんに関連することに注意を払うのなら、彼女に九文寺薫子と親しくさせる作戦はどうかと思うわよ」
「え? 何でだ。即座に効果が上がる計画ではないことくらい、承知しているが」
「肝心な部分で、将来起き得る変化を見越していないのね。二〇一一年、震災の起こる地域に家族親戚のいる九文寺薫子と現時点で知り合いになることが、天瀬さんの身の安全を妨げるかもしれない。そのリスクを考えなかった?」
「言っている意味が……すぐには飲み込めないのだが」
飲み込めないが、震災のことを持ち出されたせいか、不安はかき立てられている。直感的に、何かまずいことをしてしまったかもという後悔が生まれていた。
「たとえば、九文寺薫子さんと天瀬さんとが思っていた以上に親密になったとしましょうか。その結果、どういった事態が想定できる? 言ってみて」
「小中学生の女子が仲よくなったら……交換日記的なやり取りが最初かな? そこから発展して、一緒に遊ぶようになったり、お泊まり会をしたりとか?」
「あのね、そういう段階は踏まなくていいの。あなたが考え付く範囲で、九文寺さんとつながりができたことが原因で、天瀬さんに降り懸かる最悪の事態」
そういうことか。そこに震災を結び付けるとしたら……。
「九文寺薫子に誘われて、彼女の実家に遊びに行く。そしてそのときに震災が発生する、だな」
「そう。あくまでも可能性よ。細い線、いえ、細い糸みたいな頼りなさだとしても、あり得ないとは言い切れない」
私だって似たような考えが頭をよぎらなかったわけじゃない。検討するにはあまりにあり得なさそうな道筋だと思って、端から無視していた。
なのに、こうして神内の口から言葉にされると、充分に起こり得ると思えてくるから不思議なものだ。
「細かいことまで考え始めたらきりがないって分かってもらうために言ったんだけれど、逆効果だったかしら」
神内は私の脳裏を読み取ったのか、今の心境にぴたりと重なる台詞をよこした。
「いや。分かっていたことだ。過敏になってありとあらゆる可能性を考えて、身動きが取れなくなっては元も子もない。臨機応変に対処するぐらいの覚悟を持って、事に当たるとするよ。改めて気付かせてくれて、感謝する」
「やけに素直に出られると、戸惑っちゃうな。まあ、あなたのことを買っている部分もあるんだし、がんばってちょうだい」
そうだな。まずは陣内警部補か。
肝を据えたのと同時に、神内とのディナーは唐突に終わりを告げた。店内の明かりがぽつ、ぽつ、ぽつと消えていったかと思うとじきに闇に飲み込まれ、足下の床や、椅子の背もたれの感触が消えた。
横たわって眠っている岸先生の肉体に戻っていくイメージを感じながら、神内の早口の台詞が耳に届く。
「ごめーん、残り時間、見てなかったわ! 完全にタイムアップになったから今回はこれでおしまい。次の呼び出しはだいぶ間を空けてよっ」
神様は神様で忙しいらしい。質問の答をもらう途中で打ち切りにならずによかったと思うとしよう。
――目が覚めると午前0時を三十分ほど回ったところだった。中途半端な睡眠を取ってしまったのか、それとも夢の中でずっと活動していたのだからむしろ休息が足りないのか? ま、どっちでもいい。現在、考えなくてはいけないことは他にある。
明日、いや今日も個人面談があるが、それが終わったら天瀬の家に行こう。何て切り出せばいいんだろう……。「例の渡辺の事件のことで刑事の陣内さんが訪ねて来るかもしれないが、そのときは何を言われても、『担任である岸先生に相談してから返事する』と応対するように」ぐらいか。
彼の娘さんの水難事故についてはどうしよう。天瀬の母親である季子さんに話すとして、陣内刑事が精神的に不安定らしいことも伝えなきゃいけなくなるが、まだ何も起きていない段階で無闇に警察への信頼を損ねるような情報を出すのもためらわれる。何せ、渡辺の知り合いが逆恨みから暴力沙汰に走る恐れも残っているのだ。
陣内刑事は休職中であらゆる捜査から外れている、だから訪ねてきても穏やかにあしらってください……なんていうのもちょっとハードルが高いだろうな。陣内刑事が本気で天瀬一人を連れ出そうとするなら、極秘捜査とか何とかと言って、「渡辺の仲間がさらいにくる情報が入った、お嬢さんを保護します」ってな調子でさも警察としての対策のように振る舞われれば、いくら私が事前に注意したところで、天瀬母娘は従わざるを得まい。
どうしたら安心できるのか。私の本心としちゃあ、可能な限り穏便に収めたい。お世話になった刑事さんの一人だし、正義の人だと知っている。今は娘さんが生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたせいで、気の迷いが生じているだけだ。迷いの芽を摘むために、私ができることは……。
つづく
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