第315話 親の立場に違いなし

 ほとんど一晩中考えて、朝方になって一つのよさげな結論に達した。

 私は学校に出掛ける前に、天瀬宅を訪問することにした。


             ※           ※


 インターフォンの呼び出し音を耳にして、天瀬季子は応対に出た。今朝はこれで早くも二つ目の来客になる。

「どちらさまでしょう?」

「朝早くから申し訳ない。警察の者です。覚えておられるかどうか、以前、お嬢さんが巻き込まれそうになった事件を担当した陣内です」

 どこかしら切羽詰まったような急ぎ口調で訪問者は言った。

「刑事の陣内さん。ええ、もちろん覚えております。何かあったのでしょうか」

「何かあったというほどではないが……とにかく、開けてもらえませんかね。往来では話しづらい内容も含まれておりますんで」

「分かりました」

 玄関へ向かい、ドアを開ける。サマーコート姿の陣内刑事が門扉の辺りに立っていた。過酷な職務のせいか、あるいは別の理由からか、目が落ちくぼんだように見える。

「どうぞ」

 中へ招き入れながら、季子は訪問客に話し掛ける。

「実は私の方からもお伝えしたいことがありますの。タイミングがよくて助かるわ」

「え? っと、それは私にではなく、警察にということですかね」

 刑事らしからぬと言っていいだろう、あからさまに驚いた様子で目を丸くする陣内。

 季子は後ろ手にドアを閉めつつ、笑顔で話を続けた。

「いいえ、刑事さんにです」

「何だろう? ま、まさか渡辺の関係者からもうすでに何かアクションがあったとか」

「まさかそんな。でしたら今朝まで待たずに、一刻も早く、警察へお伝えしています」

「それもそうだ」

 会話の方向性がはっきりしないためか、上がり框の手前で立ち尽くす陣内。季子は自分だけ中に上がって、奥へと声を掛けた。

「美穂、ちょっと来てくれる?」

「え、何?」

 娘の声だけ聞こえた。

「刑事さん、陣内さんが来てくださってるの。だからほら、あの話を」

 季子は少しだけ声量を落として言った。すると奥の部屋から天瀬美穂が姿を見せ、「あ、ほんとだ」と反応したかと思うと、小走りに玄関までやって来た。

「おはようございます、刑事さん」

 身体の前で手を揃え、深々とお辞儀する美穂。白地に赤いラインが入ったノースリーブのシャツが似合っている。

「ああ、おはよう。元気そうで何よりだ」

「あれ? 刑事さんでも先生みたいなこと言うんだ?」

「そうなのかい? たまたまだよ。今日は大事なお話があって来たんだ」

「大事な話? それなら先に……ね、お母さん?」

「ええ、そのつもりよ」

 母娘で目配せを交えて言葉を交わす。来訪者たる陣内刑事は多少面食らったようだ。

「先ほどから何かあるのは分かるんだが、何なのかはさっぱり分からないな。悪い話ではなさそうだから心配はしていませんが……」

「ちょっと待っててね」

 美穂は来たときと同程度のスピードで部屋に駆け戻り、すぐにまた姿を見せた。今度はそろりそろりとした足取りで、それもそのはず、ぴったりと合わせた両手の平には、少し前から作り始めたある物がいくつか盛られている。

「これは……?」

 すぐ目の前に差し出されたその物――折り紙の鶴の一つをつまみ上げ、陣内刑事は首を捻った。

「まだ完成していないんだけど、少しでも早く渡した方がいいと思って」

 美穂の説明だけでは分からず、また小首を傾げる陣内刑事。季子が言い添える。

「刑事さん、つい先ほど耳にしたばかりなのですが、お嬢さまが入院されていると」

「――え、ええ」

 わずかであるが、目が泳ぐのが分かった。一瞬現れた動揺を押し隠し、陣内刑事は続けて「どうしてそのことをご存知なんですか」と聞いてきた。

「私も詳しくは承知しておりませんが、他の刑事さんが岸先生――美穂のクラス担任の方に伝えてきたみたいです」

「そう、でしたか」

 陣内刑事には再び、動揺の色が微かに出る。息を一つ、肩でするのが分かった。

「そんな大変なときだというのにお仕事とはいえ、済んだ事件のことでわざわざ足を運んでくださるなんて、本当に痛み入ります」

「い、いえ」

「だからというわけではなく、お嬢さまの入院を知らされた際に岸先生と相談して決めたのですが、お嬢さまのために何かしたい、それなら全快を祈願する千羽鶴を贈りましょうという話に」

「え。じゃあ、この折り鶴は」

 手にした折り鶴を改めてまじまじと見つめる陣内刑事。美穂が下から、真剣な眼差しで見上げた。

「がんばって作っているところ。今はこれだけしかできてないけれど、思いを込めてるから。刑事さんの子供って会ったことのない人だけど、絶対に元気になるって信じています」

 短く唸った陣内刑事は手の甲で鼻の下をこすった。そして「……ありがとう」という言葉を絞り出した。

「一羽だけ、先に持って行っていいかな? あの子の枕元に置いてやりたいんだ」

「うん、ぜひ。あ、一羽じゃなくて三羽がいいと思う。私の分とお母さんの分と岸先生の分で」

「そうか、岸先生も折ってくれたと。ならば三羽がよさそうだ」

 了解した陣内刑事に、美穂は「えっと、自分が折ったのはこれで、お母さんが折ったのがこれでしょ。岸先生のは一番分かり易くて、首が短めなの」と選び取る。そうして三羽を改めて刑事へ渡した。


 つづく


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