第291話 見間違えたのでも記憶違いでもなく
堂園は、女の子が黙ったままこっちをもの問いたげに見てきたので、代わりに口を開いた。
「ハンカチを拾ったのがきっかけで知り合ったばかり。富谷第一小学校なんだって。それで、うちとの交流にも参加する予定だったのが、同じく時間ができたからここに来たっていうのも一緒」
「へえ!?」
四人の反応がほぼ重なった。続けてアピールしたのは天瀬と長谷井、つまりは参加予定だった二人。
「私も参加することになってたんだ。残念だったけど、次の機会がきっとあるよね」
「テーマがディベートじゃなくなったら、他の人と交代する可能性はあるけれども」
「あ、私の学校では、次、テーマが変更になってもそのまま参加できるって先生が」
女の子が会話に入って来てくれて、堂園は気分が高まった。
「そういや自己紹介してなかったんだった。僕は堂園欽一、六年生。二人は同じクラスの長谷井と天瀬さん。あと担任の岸先生と保健の吉見先生だよ」
一気にしゃべると、相手の返事を待つ。女の子は全員の顔を順番に見て目礼してから、名乗った。
「私は富谷第一小学校六年の九文寺薫子です」
えっ?という声が漏れ聞こえた。堂園は岸先生の方へと振り向いた。
「何なに、先生? びっくりするようなこと言った?」
* *
その子の名前を耳にして、勝手に驚きの声が出てしまった。
富谷第一小の児童で交流行事に参加する予定だったと聞いて、「もしかしたら……いやでもまさかな」と思った矢先のことで、心の準備が間に合わなかった。
「何なに、先生? びっくりするようなこと言った?」
堂園が好奇心丸出しで聞いてくる。当然、天瀬や長谷井、吉見先生までもが私の顔を見つめてきた。
「いや。大したことじゃない」
返事の中身を考え考え、スローな口調で答える。
「富谷第一小から参加する代表児童の名簿を、事前に見せてもらっていたんだ。あ、九文寺さんは知らないに決まってるけれども、私と吉見先生はこちらの代表児童の引率教師として同行することになっていたからね」
「はあ……」
「その名簿では確か“九文寺薫”となっていた記憶があって。“子”の字が付いていたら薫子になって、うちのクラスの元松さんと同じ名前だなと思ったから。珍しい名字に感じて、印象に残ったしね。それが今聞いたら、ほんとに薫子さんだって言うから、『ああ、名簿の方が間違っていたのか』とちょっと驚いてしまった。それだけのことだ、妙な声を出してすまなかった」
筋は通っているだろうけれども、苦しい説明だ。よその学校の一児童の下の名前に“子”が付いていたかどうか、そんなことまで気に留める教師がいるか、普通? 果たして周りの反応は……。
「何だ、そういうことか」
堂園は簡単に納得してくれたようだ。天瀬や長谷井にも、特にこだわる様子は見られない。唯一、吉見先生だけはわずかばかり首を傾げていた。彼女は代表児童の名簿に目を通しているだろうから、“子”の字が抜けていたなんていう私の嘘に気付くかもしれない。もしも疑われたときは、コピーミスで私が受け取った名簿だけ黒丸が“子”の字を隠していたことにしよう。
そして恐らく予期せぬ形で当事者になった九文寺薫子はというと、何故か私の方をじっと見てきている。
「何かな?」
「あ、すみません、見つめてしまって。会ったこともないのに、名前についてそれだけ覚えてくれているなんて、凄い先生かもって感じて……」
「凄くはないよ。たまたま」
どうやらよい風に受け止めてくれたらしい。子供思いだからよその児童の名前を覚えていたなんて、そんなつもりはなかった私としては気恥ずかしさを覚える。が、何はともあれ、私の不用意な「えっ?」はごまかせたようである。
その点については一安心なのだが。
突如降ってわいた九文寺薫子と知り合うというシチュエーションは、私の中で様々な思いをざわつかせた。
真っ先に言えるのは、今日のこれまでの出来事が過去の改変による流れに乗っていること。今までに何度か言及してきたように、細々とした変化なら否応なしに起きているに違いない。それらは多分、変化と言っても気にしなくていいレベルなのだろう。だが、九文寺薫子と現時点で知り合うというのは、見過ごしていい変化ではあるまい。対処には注意を払うべきだろう。六谷のためにもここは慎重に振る舞わねば。
と言いつつ、何をどうすればいいのかは皆目分からない。手掛かりがないのだから。
それともう一つ、慎重に検討して結論を出すべきは、九文寺と知り合えたことを六谷に伝えるかどうか、である。話すとしても、どこまで打ち明けるかの線引きが難しいかもしれない。少なくとも、九文寺薫子の連絡先がこのあと分かったとしても、六谷にはまだ教えない方がよさそうだ。(中身である高校生なりに)大人びたところを見せたかと思うと急に子供っぽくなるし、普段はまずまず理性的に振る舞っているくせに、この彼女さんのこととなると、いささか暴走気味になりかけるのは困ったものだ。
つづく
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