第342話 本筋とは違うところで

「あなたの方が出向くというのは文字通りよ。一時的に岸先生として、二〇一九年に行くの。そして、そうね、天瀬さんの夢の世界を勝負の場とするのが適当かしら。つまりあなたは岸先生の姿形で彼女さんの夢の中に登場するわけ。そして彼女と組んで、私達と勝負する」

 解説してもらう内に力が抜けてきた。そんなことができるのかよ~。だったら早く言って欲しかった。天瀬に対してややこしい説明をする必要なく始められるし、あとで夢の中での出来事だと思わせるのは簡単そうだし、いいこと尽くめじゃないか。

「勝負するのに、二〇〇四年にこだわる必要はなかったとは……」

「こだわる理由がないでしょ。場は私達の方で自由にセッティングできる。あなたは夢の中に出られるだけだから、これ幸いと二〇一九年に逃亡を図ることは不可能」

 仮に逃亡できる状況だとしても、そんな途中で投げ出すような真似はしないけどな。

「ただし、問題が二つほどあるの。まず、あなたの側がこの上なく不利になると思うんだけど、それでもいいの?」

「え。何で不利に」

「こちらが想定している勝負の一部は、二〇〇四年を過ごしてきたあなたや六谷にまつわるものになるから。直接・間接を問わずにね。だから、あなたはまだしも、二〇一九年の天瀬美穂さんにとっては十五年前の問題を出される感じになるかもしれない。彼女の記憶力に賭けてみるというのなら、私は手筈を整えるだけだけど」

「……勝負の一部がというのなら、問題ない」

 記憶力重視の問題には私が臨めば済む話だ。

「問題の二つ目というのは?」

「勝負とは無関係に、あなたの個人的事情に関わることよ。岸先生として彼女の夢の中に現れるだけだから、天瀬さんとゆっくり話す暇がない。それどころか、貴志道郎と名乗るのも無理なんじゃないかしら」

「そうか……」

 貴志道郎として彼女と言葉を交わせないのは、確かに痛い。希望というか喜びというか某かの種が心の中で芽吹いたところだっただけに、落胆を覚える。

「ま、夢の中なんだから何でもありっちゃあり。岸先生が貴志道郎の置かれた状況を天瀬さんに伝えたって、天瀬さん自身は目覚めたあと、辻褄を合わせてうまく解釈するに違いないわ」

 そういうものか。だったらまだ希望は捨てなくていいのかもしれないな。

「それじゃあ、登録してOKね?」

「……死神との勝負になるんだよな」

 イエスの返事をしようとしていたんだが、ブレーキを掛けた。ふと気になったのだ。

「え? それは再三再四、言ったつもりだけれど。何を今さら」

「一方で、天瀬の身の安全は保証してくれると」

「ええ。約束する」

「私の身の安全はどうなんだろう? 確か前までの話では、特に危険は及ばないようなニュアンスで聞いていた。が、相手が死神と決まったのなら警戒すべきじゃないかと思い直したんだが」

「つまり、死神相手に負けたら、魂だの残りの寿命だのを奪われるんじゃないかと危惧しているってことね?」

「そう。死神と聞けば誰もが真っ先に連想すると思うぞ」

 実際には話の急展開に失念していたわけだが、そこは押し隠す。

「死神がその気になれば、弱った人間の魂、寿命を刈り取るくらいわけないわ。赤子の手を捻るのと同じくらい簡単よ」

「脅しか。私は、赤ん坊の手を捻るなんて非道な行為はできないけどね。普通の人なら大多数は、心理的に無理だろう」

「食い付くところ、そこ? 確かに多くの人間が言ってるけれども、そもそも人間の作った言い回しなのだから、私にいちゃもんを付けないでくれる?」

「そんなつもりはなかったさ」

「脱線ついでに話しておくわ。昔々の大昔のことになるけれども、実験をした神、死神がいたのよ。あ、今度の勝負に出て来るのとは別の死神よ」

「実験て、赤子の手を捻る実験?」

 意味が飲み込めない。

「そう。正確に表現するなら、人間は赤子の手を簡単に捻れるかどうかの実験。通常なら確かに誰もしなかったそうよ。だけど、やり遂げた場合には報酬が出るといったプラスの条件を付加するとおよそ半数近くが実行したらしいのよね」

「本当か? よほど高額な報酬を提示したんじゃないか」

 俄には信じる気になれなくて、某かの裏があるんじゃないかと勘ぐった。

「死神が実験した当時は年収という概念がほとんど浸透していない頃だったけれども、おおよそ一年と三ヶ月分ぐらいに相当する報酬をちらつかせたら、半数近くに達したとされているわね。それ以上の額では実験しなかったから断定はできないけれども、もししていたら全員が捻っていたかもしれない。

 またそれとは別に、成功しない者は命に関わりかねないひどい目に遭うという風なマイナスの条件を付けてやったところ、全員が最終的には赤ん坊の腕を捻ったっていう話も伝わっているわね」

「それは緊急避難というやつに当てはまるんじゃないか」

 反論したけれども、我が声が弱々しくなっていると気付いた。

「人間らしさというものに、自信をなくしかけているのかしら? 自分は自分でいいじゃないの」


 つづく

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