第368話 サイズ違いも悪くはない、かも
「そうかなー? ま、いいわ。それよりも泊まっていってもいいってなった?」
「なった」
続けて食事や風呂、そして寝るスペースについて話そうとしたのだが、直後の「やった!」という天瀬の声でかき消されてしまった。見ると、万歳のポーズまでしている。担任教師の家に泊まれるのが、そんなに嬉しいことなのかいな。
これが私自身、つまり貴志道郎としてならこちらも諸手を挙げて喜んだかもしれないけれども、実際には見た目、岸先生だしな。複雑な心境ってやつに囚われる。
「どうしたの? 先生は嬉しくない?」
「いや、嬉しくなくはない。でも、緊急事態なんだ。喜んでばかりいられない。急いで決めないといけないことがいくつかあるだろ」
「着替えなら、お母さんからも話があったと思うけど、私、平気だよ。我慢する。たださあ……」
「何だ、何かあるのか」
「寝るときは、やっぱり、さっぱりしたい。先生のパジャマで、洗ったばかりの物あるんじゃないかーと思って。それ貸してもらえますか?」
「あるよ。何なら、買って来てそのままにしてあるのもあるから、そっちにするか」
この時代に飛ばされてきた当初、他人の身体に慣れないこともあって、肌が触れる衣類は全部換えてみようとしたことがあった。だけど、買って来た物をほとんど試さない内に、気持ちの方が身体に馴染んだと言えばいいのか、岸先生がこれまでに使用していた物でもまるで気にならなくなった。で、まだ使える物がたくさんあるのに新品を開けるのももったいないので、そのまま置いといたのだ。
私は押し入れに行き、がさごそと奥の方を探しながら言った。
「だけどサイズ、全然合わないぞ」
「それくらい言われなくたって分かるわ。大丈夫、ぶかぶかでも着られたらいいんだから」
上はともかく、下がぶかぶかなのはまずいだろ。いや、上が充分に大きければ、下はたとえ履かなくても裾で隠れて見えないか。等と状態を予想しながら、目的の未開封パジャマが見付かったので、ぽいと放り出す。青い、もこもこした生地で、どちらかと言えば秋以降のデザインかも。
「これじゃ暑いな。もういっちょ、夏向けのぺらぺらしたのが――あった」
白地に何か細かな絵をちりばめた柄で、これなら女の子が来てもまずまず行けそう。無論、サイズはどうしようもないが。
「こっちでどうだ?」
「うん、いいよ。開けるね」
パリパリ音を立てて、ビニール包装を破り掛ける天瀬。
「待て、ストップ。風呂に入るつもりなら、入ってからでいいだろう」
「えー? だってなるべく早めに着替えて、服は乾かした方がよくない?」
うむ。一理ある。
「じゃあ、どうするかな。先生が食事の準備をしておくから、その間に風呂、入れるか?」
「入る入る。ちょうどいいよね、食事の準備をしながらだと、お風呂場を覗けないもの。私も安心安心」
「こら」
叱ってみせると、天瀬は舌先をちろと覗かせ、ごめんなさいと呟き口調で謝った。
冗談というのは顔を見れば分かるが、一応怒っておかないとな。
「じゃ、風呂の準備するから、天瀬さんは……湯が貯まる前の間、夏休みの宿題でもやるかい? 渡したプリントと同じ物が、予備としていくつかある」
「あんまり身が入らないと思うけど、やる」
何だその、教師ががっくり来る返事は。
「折角、先生のお家にいるんだから、あちこち見て、色々聞いてみたい」
うーん。もしかすると泊まれると決まって喜んでいたのは、これか? 担任教師の秘密を握ろうってか。
以前見付けたあれやこれや(要するに岸先生が購入済みだった大人向けの本など)は、きちんと整理して、仕舞ってある。天瀬の身長なら手を出せない場所だが、踏み台になる物が一つあれば届く。
いや、それよりも、私が私の好みで買った同類の物が少しあるんだった。あれは仕舞い込んでないぞ、確か。
「引っ越しを手伝ってくれたとき、あらかた見ただろ」
「見たけど、あれから時間が経ってるから、変化してるはず」
大きな変化と言えば、目の前にいる岸先生の中身が変わってるんだが、気付くわけがなく。
「部屋のあちこちを見られたら、気が散って他のことができなくなるな。片付けとか。散らかり放題の部屋で寝たくないだろ?」
「だったら、私が片付けてあげようか」
「う」
よい理屈を見付けたと思ったが、藪蛇だった。
「しなくていいよ。ただでさえ着替えがないっていうのに、その上、余計に汗をかくことはない」
「……確かに、汗くさくなるのは嫌だ」
自らの服の布地を引っ張って鼻に近付け、くん、と嗅ぐ天瀬。
「ぎりぎり、大丈夫って感じ。雨の匂いが混じってるおかげかな」
「とにかく、大人しく宿題を――」
「あっ、どうせなら私も夕飯の準備、手伝うのはどうかな?」
「それだと早くできてしまう。風呂が後回しになるぞ」
「そっかー。……プリント、もらうね、先生」
ようやく断念してくれたか。こんなことで安堵するのも変だが、気疲れを感じる。
私は筆記用具一式とプリントを何種類か持って来て、まとめて渡した。天瀬はプリントをざっと見て、「これはもうやった」「こっちはまだ」「途中」と仕分けした上で、一枚を選ぶ。
「分からないところがあったら教えてね、先生?」
つづく
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