第11話 そいつは君の夫とは違う

 うむ。やはり、十五年も前のこと、細部まで記憶できているはずがなかった。これ以上地雷を踏み続けないように、早期退却に転じるべきだな。

「分かった。よし、今のなし」

「ええーっ?」

 呆れ声を上げられた。がっくり来るが、ここは押し通す。

「ネットで少し掘り下げて調べて、出て来た情報を適当に組み合わせただけだ。万が一当たっていても、偶然な」

「じゃあ、未来から来たって話も嘘なんだね」

 どことなく安心した様子の天瀬。おかしくなったんじゃないかと本気で心配させていたのかな。だとしたら、悪いことをしてしまった。

 私は彼女に対して、機会が来れば「十五年後の未来から参りし、君の夫だ」なんていう風に告白するつもりは毛頭なかった。やったらどうなるかぐらいは、想像が付く。ただ、やってみたいなと夢想はしていたのかもしれない。だからこそ、これから先起きることを当ててみせようなんていう、児戯の振る舞いをしてしまった。今後は自重すると決めた。尤も、他に覚えているこの年の出来事なんて、ほとんどないのだが。

 とりあえず、未来から来たことを完全否定するのももったいない、というかそれはそれで嘘になるので、曖昧に答えておく。

「信じるか信じないかは天瀬次第」

「またそれ。もう、やっぱ変だよ、岸先生。今日は早く寝て、完全に治してから学校に来てください、いいですね?」

「分かった」

「それじゃ、私、帰るね」

 えっ、もう? まだ早いじゃないかと引き留めそうになったのは一瞬だけ。天瀬が垣間見せた大人の顔のおかげで、こちらもつい、十五年後の気持ちになっていたようだ。いかん、精神的にまだ不安定だな。早く治せと言われるのなら、まずは平常心を保てるようにするのが先決のようだ。

「洗い物は自分でしてください。あと、鍵を掛けるのを忘れないように。学校で待ってるから、明日はちゃんと出て来てよ」

 この岸未知夫の母親かよとつっこみたくなるくらい、色々言い募って、天瀬は玄関から出て行った。外はまだまだ明るいから、一人で帰しても大丈夫だろう。

 まずは言われた通り、忘れない内に施錠しておくかと、立ち上がる。ついでに器を流し台に置いてから、玄関に向かうと、不意にドアが開いた。

 びくっとして動きを止めた私の前に、ひょっこり顔を覗かせたのは天瀬だった。

「何だ? 忘れ物か」

「うん、ある意味、忘れ物」

「何だそれ」

「さっきの話の続き。ここまでなら言っていいかなって」

「続きというと……好きな人がどうこうってあれか」

「うん」

 天瀬はいたずらげに目をくりくりとさせた。

「好きな人、いるよ。同じクラスに」

「――」

 私も結婚できる程度には充分大人だから、小学生時代の嫁からどんな恋バナを聞こうと、嫉妬はしない。

 しないつもりではあるのだが……天瀬が好きな男子児童がどんな子供なのかは、とても気になった。

 知れば、嫉妬するだろうか。


 はたと気付いたときには、ドアは再び閉じられ、天瀬の「じゃあね、先生。さようなら」という声が、耳の中でこだましているような気がした。

 私は部屋に戻りかけて、二歩で足を止め、きびすを返すと玄関の鍵を閉めた。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る