第233話 中身は違うが同じ人だとばれないよう違う人を演じる
八島さんの母親は不意に言い淀むと、しばらく黙ってしまった。次の言葉として何をどう掛ければいいのか、こちらが戸惑っていると、相手から口を開いてくれた。
「石見さんや岸先生はご存じないようでしたから、このままなるべくなら伏せたままにしておこうと思っておりました。実を言いますと華は現在、入院をしておりまして」
「え、それは……お見舞い申し上げます」
急すぎる話に、とりあえず見舞いの言葉しか出てこなかった。声色を作るのを忘れそうになったが、そこはどうにか踏みとどまった。
「ありがとうございます。この時間にお電話をしてくださって、ちょうどよかったわ。ほんの少し前まで、私も夫と一緒に病院で娘に付き添っていたんです。夫が時間があるときは夫が、そうでないときは私が娘の病室で寝泊まりしておりましてね」
つまり、感染するような病気ではないんだな。死に直面したような状況でないことも、言葉の節々から窺えた。ならば多分、もう少し突っ込んで尋ねても大丈夫だろう。
「華さんがどういった具合なのか、差し支えのない範囲でかまいません。どうかお話しください。岸にも教えてやらなければいけないので、ぜひ」
岸先生の魂が身体に残っているかのように、私の口調が熱を帯びる。それは先方にも伝わったようだ。
「お話しはしますが、お伝えできることはあまりないんです。お医者様から原因不明と言われました」
原因不明。重い言葉だ。死とはまた違う意味で息苦しさを感じる。
「で、では症状だけでも」
「時折、高熱を出して身体ががたがた震えます。それ以外はだいたい眠りに落ちている時間が長くて、最大で一日のうち二十時間、ほぼ連続して眠っていたこともありました」
「意思疎通は、会話はできるんですか」
「不幸中の幸いと申しますか、目が覚めていて、なおかつ平熱のときは話せます。意識はいささかぼんやりしているようです。それが長く続くのですが、お医者様の話によれば脳にダメージを受けているわけではないと確認できているそうで、その点だけは一安心でした」
回復の望みはあるという風に受け取れた。反面、原因が不明という点はどうしても気になる、大きな問題だ。
「分かりました。お話しくださってどうもありがとうございます。感謝します。近々に、とはお約束できかねますが、岸が治り次第すぐに連絡を取らせますので、華さんの調子のよいときによろしくお伝えください」
入院先の住所を聞き出したいところではあったが、そこまでは“岸先生の友人である石見”には無理だろうと判断し、やめておくことにした。あまり欲張って変に思われては、ここまでの通話で築いた信頼関係が一瞬で駄目になる。
「それから、あなた方ご両親も、体調にはお気を付けください」
もう電話が終わる。他に何か聞いておくべきこと、聞けそうなことはないかを考えているのだが、思い付かない。
「ご丁寧にどうも。岸先生にはくれぐれもお大事にとお伝えください」
「はい、承知しました」
「――あの」
これで送受器を置くしかないなと思った刹那、相手から引き留めが掛かった。何だろう? もしかして私が今やった程度の声色では、だめだったか? 岸先生の声だと聞き分けられてしまったのなら、そのときは開き直って「似ているとよく言われるんですよ」とするか、もしくは岸先生の親類ってことにでもすれば何とかなるだろ。
「何でしょうか?」
「私からもつかぬことを一つ、尋ねさせてくださいます?」
「ど、どうぞどうぞ」
いよいよ覚悟を決めるときかと、思わず電話ボックス内の天板を仰ぎ見た。
しかし電話口から流れ聞こえたのは、別の用件だった。
「失礼かとは思いますが、どうしても気になったものですので……岸先生が喉を痛めたというのは本当の話でございますか?」
「……何故、そう思われるんですか」
頬の筋肉が引きつる感覚を味わった。恐らくこのときの私の顔は、変な苦笑いを浮かべていたことだろう。
「今の時代、声が出せなくなっても、連絡を取る方法でしたら電話以外にもいくつかあるでございましょう?」
「それはそうですが、ご存じかと思いますが、岸は携帯を未だに持っていなくて、パソコンもなし。インターネットとは縁遠い暮らしを送っていますので、はい」
言い訳めいた口ぶりになったが、致し方がない。
「それでも人様の機械を借りてメールを送るとか。ネットカフェというのでございますか、あのようなお店を利用すれば、連絡を取れると思ったのです。私のような年齢になると、世間とはズレているかもしれませんので、おかしなことを言っていたら申し訳ございません。お詫びします」
「いえ。言われてみればその通りで……もしかすると、華さんのメールアドレスを岸は聞き出していないのかもしれませんが」
声が暗く沈んでしまう。ばれないように慎重を期そうとして、口や舌が強ばるようだ。
「あの、岸先生を責めているのではございませんの」
まるで私を元気づけるかのような口調で、先方が言った。
「もしや、岸先生の方も娘と同じ症状に罹っていて、連絡をすることがかなわないでいるのではないかしらと想像したものですから」
つづく
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