第232話 仮定と違和感

「――はい。もしもし?」

 女の人の声がした。高いトーンだが、若くはない印象を受けた。多分、八島華さんの母親だろう。

「夜分に失礼をします。私は岸未知夫の知り合いで、石見いしみという者です。そちらは八島華さんのご自宅でしょうか」

 前もって考えておいた偽名を名乗ると、続きをしゃべるよりも早く、相手が反応した。

「はあ、岸先生のお知り合いの石見さん。華のことで何か?」

 よし。十中八九、八島華の母親で決まり。その人が違和感なく“岸先生”と呼ぶくらいだから、岸先生と八島華さんとの仲も、恋人かどうかはともかくとして親しいに違いない。だが失敗しないよう、念押ししておく。

「失礼ですが、お母様でいらっしゃいますか?」

「そうですけれど」

「岸はここしばらく喉を痛めておりまして、電話をしたくてもできない状態が続いています」

「まあ。そうでしたの。お大事にしてくださいとお伝えください」

「承知しました。それで、そちらの娘さんから岸がはがきを受け取ったが、連絡をできないままずるずると来てしまったと心配していまして、今晩、遅いとは思いましたがこうして掛けさせてもらった次第です」

 不審に思われぬよう、でも堅苦しくならないよう、ほどよく丁寧な線を目指したつもりだが、うまく行ったかどうか。

「お話しするとなると多少お時間を頂戴することになると思いますが、石見さん、そちらはお時間とかお電話とかよろしいです? なんでしたらこちらからかけ直しましょうか」

「いえ。実は今公衆電話からでして、通話料のことなら大丈夫だと思います」

「よろしいんですね。それでは……私も最初は娘から聞いて呆れましたんですが、娘は夢で岸先生を見て心配になったからと、お電話したりお手紙を出したりしたんです」

「ゆ、夢ですか」

 想像の埒外の答に思わずどもる。

「ええ。呆れますでしょう?」

「いえ。若い頃にはまま、ありがちなことと言えなくもないのでは」

「だといいんですけど。何と言ってましたか娘は岸先生が、中世のヨーロッパかどこかを思わせる場所で、警察をみたいなことをして犯罪者を取り締まっている夢を見たと。それも何度も繰り返し」

「は、はあ」

 想定外の話が続き、面食らってしまう。

 が、慌てる必要はない。確かにちょっと異様だが、映画か何かの影響を受けて、私生活とごっちゃになって夢に見るというのは絶対にないことではあるまい。合理的に解釈しようとすれば、そんなところであろう。

「そこに重ねておかしなことがあったようです。その夢の中で、華は殺人犯として疑われている、とか」

「え? 殺人犯?」

 だめだ、予想の斜め上を行かれている。

 現実世界の何らかから影響を受けたとしても、自らを殺人犯とする夢を見るなんて。普通に悪夢じゃないか。

「ということは華さんを取り調べしているのが、岸だということになるんでしょうか」

「そうみたいです。あ、取り調べというよりも、事件の捜査をしてくれている感じだと言っていましたね」

 相手の話のニュアンスを汲み取り、よく考える。

「もしかすると、華さんのえん罪を晴らそうと、岸先生が動いているという風な感じですか」

「娘の話しぶりでは、そのようでした。ただ、目が覚めると同時に見たばかりの夢を部分的に忘れてしまうと言っていましたから、要領を得ませんで。石見さんもお分かりになれませんでしょう?」

「まあ確かに」

 そう答えながらも、私はあることを急に思い出していた。通話が上の空にならないようにしなければいけないので、思い出すことに集中はできないが……あれは天の意志とのやり取りで出てきた話だ。確か、岸先生はファンタジー世界送りになっていて、謎解きに挑んでいると。

 これって、八島華さんが見たという夢と符合している気がしてきた。天の意志は単にファンタジーとしか言ってなかったと思うが、ファンタジーと聞いて思い浮かべる世界観の一、二番手に来るのが、中世の西洋風世界じゃないだろうか。そして謎解き。夢の中では岸先生は警察のような役回りだったらしいから、この点も重なる。

 しかし、こういう捉え方にはまだネックがある。

「石見さん? 聞こえています?」

「すみません。岸に伝えるためにメモを取っていました。あと少しお待ち願えますか」

 ごまかしてから、ネックについて確かめる方法を考える。

 私がネックになると思ったのは、八島華その人も岸先生と同じ夢の中の登場人物になっているらしいという点だ。岸先生は今、肉体を離れて異世界に行っている。対する八島華さんは、現実の世界にいながらにして異世界の物語に参加していることになる……。これは矛盾とまでは言えないとしても、不均衡ではないか。個人によって異世界ファンタジーへの“参加ルート”が異なるのは変な気がする。

「お待たせしました。それで、つかぬことをお伺いしますが」

 テレホンカードを追加しながら、私はまずは基本から押さえようと思った。

「何でしょう」

「華さんと直にお話しできませんでしょうか」

「あの、それが……」


 つづく

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