第355話 少しずつ違ったけど帳尻合わせ

「一応伺いますが岸先生は、まだ何もしていませんよね?」

 ぶしつけな質問ではあったけれども、事実、法律の範囲内で行動を起こすつもりはあった。素直に答えておく方がよかろう。

「してません。暇がもしあったら、どちらかの仕事場近くまで足を運んで、張り込みの真似事でもしてみようかなと、考えないでもなかったですが。相手の顔が分からないと、ガードのしようがありませんからね」

「何も起きなくて何よりです」

 やっぱりちょっと嫌みの一つでも言おうかと考えたが、やめた。三森刑事は三森刑事で無理をしてできる限りの情報を出してくれたんだろうし、悪気がなかったことは当然理解できる。

「分かりました。とりあえず安心していいんですね?」

「ええ、とりあえずは。渡辺に外と連絡を取り合っている様子はありませんし、日が経つにつれて段々と自分のやらかしたことの大きさと愚かさを理解しつつある、っていう具合に見えますので」

 よかった。心底、ほっとした。死神と共に天瀬の夢に現れた二人は何だったのかという疑問は残るが、今は現実世界の方が大事だ。

「それからついでと言ってはあれなんですが」

 安心しきった私の耳に、刑事の言葉が続て届く。用件は終わったものと思っていたら、まだ他にあるようだ。

「懸念事項がまだあるんですか」

「いえ、それとはまったくの別件です。先ほど名前の出た天瀬さんの親子が、何故だかお見舞いに来てくれたそうで」

「お見舞い?」

 電話口できょとんとしてしまった。何のことだか、皆目見当が付かない。

「陣内警部補の娘さんの」

「あ。そういえば千羽鶴を」

 そうだそうだ、忘れていた。陣内刑事の娘さんの意識が戻ったと耳にして、天瀬は母親と一緒に直にお見舞いに出向いたということらしい。こうして刑事さんから知らせてもらったからには、お見舞いは穏やかに済んだんだろう。つまり、陣内警部補は落ち着きを取り戻し、元通りになったとみて間違いあるまい。

「陣内さんから機会があれば岸先生にも改めてお礼しに伺いたいと、言伝をもらっているのですが、何かありました?」

「え、ええ、まあ」

「……何か不思議なんだよな。警部補が早々に復帰する見込みになったのはいいんですが、あの天瀬美穂さんが見舞いに来た経緯がよく分からない。確かに、事件の捜査で関わりは持ったとはいえ、あの子を救ったのは岸先生ですし」

「まあいいじゃないですか。元の鞘に収まったのですから、気にせずに参りましょう」

「そうですね……ああ、そうだ。前に私が言っていた、警部補の様子がちょっと変だの何だのという話、忘れてください」

「もちろんかまいませんけど、何でまた?」

「私がそんなことを言っていたと陣内警部補の耳に入ると、職務上での私と警部補との関係性に少々影響が出そうなので。お察しください」

「ははぁ、分かりました」

 お仕事がんばってください、陣内さんにもよろしくとの旨を伝えて、電話を終えた。

 これでまた一つ完全に決着して、使命を果たせたんだと安堵の息が出る。

 心をざわつかせられたが、陣内警部補もその娘さんも元通りになれたのなら何も言うまい。終わりよければってやつだ。

 それよりも、元通りになれないのは私の方だ。天瀬に降り懸かる危機の回避に成功しているのに、元の時代に戻れない。現状、どんなに早くても、神様との勝負が終わるまで帰還はお預けだろう。

 渡辺の弟や坂田正吉が悪い人間じゃないとすると、天瀬が見たらしい悪夢に出て来た二人はただの脅し? 天瀬が見た夢の内容が遅かれ早かれ私の耳に入ることを見越して、警戒心を起こさせ、心身共に疲弊させるのを狙ったのかもしれない。天瀬の夢に手を加えるだけで、私にも悪い影響を及ぼすという点では一石二鳥だが、そんな迂遠な方法を採らなくても私の夢に出て来て直接仕掛けてくればよかろう。盤外戦・場外戦を好む割に、よく分からない死神だ。

 今夜就寝したあと、神内が呼び出しに応じて夢に出て来たら、ルール違反じゃないのかと責めるつもりでいる。そこへ加えて、私の方に死神が登場しないことそのものも疑問にしてぶつけねば。

 それとは別に杉野倉の件も持ち上がったし、問題山積の状態は変わってない気がする。しかしさっきまでと違って、気持ちが前向きになった。やはり陣内警部補の件が丸く収まったのが大きい。私は食事作りを始めた。

 しかし、炊飯器のセットをしたところで訪問者があった。二度目のブザーに「はいはいと返事しつつ、濡れた手をタオルで急いで拭き、玄関に向かう。

 丸く小さなのぞき窓を通して外の様子を窺う、と、誰もいない。――いや、少しだけ視線を下に向けると、頭頂部の髪の分け目が見えた。子供の頭だ。

「天瀬さんか?」

 何故だか知らないがそう感じた。間違いない自信もある。普段から子供達を見てきて、頭の形だけで区別が付くようになったのかも。

 ドアを開けようとすると、「待って待って」と慌て気味の反応が。天瀬の声である。

「やっぱり天瀬さんか。どうした?」


 つづく

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