第384話 一瞬、約束を違えられたかと
「――ふふん。お見事でした」
ハイネは音を立てない拍手をした。
「記憶力と分析力、論理的思考。いずれも侮れないレベルであると分かっただけでも、我々としては収穫があったと言える」
「ちょっといいですか。お言葉を返しますけど、死神のハイネさん」
神内が唇を尖らせて言葉を差し挟む。
「私はとうに分かっていました。こんなテストみたいな真似なんて不要なぐらいに。私自身、勝負してやられたんですから」
「すいませんねえ、神内さんあなたを過小評価していました」
ハイネの返事に悪びれた響きはないが、薄ら笑いを浮かべたような顔つきのおかげで、真実味の乏しい台詞になっていた。
「ちょっとちょっと。私とも前に勝負して、力を認めてくれたんじゃないの」
「認めましたよぉ。それでもこの目の前にいる人間と同程度だと思っていたので、怒らないでくださいぃ。対決本番では力を合わせなければいけないんですしねえ」
「お取り込み中のところ、邪魔するが」
私はあくびをかみ殺す仕種をしながら聞いた。
「そろそろ終わっていいのかな」
「ああ、忘れていた。好きにしてくれてかまわない。万全の体調で、勝負に出て来てくれさえすれば」
ハイネは能の般若みたいな顔つきになっていた。どの口が言うかと腹立たしかったが、その顔つきだけでもまた恐怖心を呼び起こされそうだったので、立ち去る動作に紛れさせて目を背けた。
四番勝負に向けて、大人になった天瀬が平静でいられるよう、小学生の天瀬に何かしてやれることはないかと考えながら眠りに就いた。
そのつもりだったのだが、すぐさま目が覚めた――ような気がする、感覚的に。
一秒ほどぼーっとして、次にはっと思い出したのは布団の中のこと。天瀬がどこにいるかを確かめなくてはいけない。まずは当然、仕切り線の向こうをちらと見やった。
――いない?
急に汗がにじみ出るのを感じた。まさか……上半身を完全に起こし、自分の寝床を眺める。自分の足以外、膨らみはないようだが。念のため、薄手の毛布をそろりそろりとめくっていく。
「せーんせ!」
不意の呼び声に、跳び上がるほど驚いた。実際、数センチ床から浮いた心地がする。
幸いと言っていいだろう、その天瀬の声は毛布の下からではなく、私の背中の方から聞こえたものだ。
「おはようございます。起きました?」
「うん、起きた。おはよう」
まさか何にも着てないことはあるまい、いや絶対にないわなと安心して振り返る。と、別の意味で「あっ」となった。天瀬が早々と着替えていたからだ。
「素早いな。何時に目が覚めたんだ?」
「うーんと、目が覚めたっていうのならだいぶ前です。あ、思い出したら腹が立ってきたわ」
「腹が立つ?」
何か悪いことしたか? いびきか歯ぎしりがうるさかったとか。
「先生はぐっすり眠ってましたけど、ある意味感心しちゃった。こっちはテレビの音がうるさくて目が覚めたんだから」
「テレビ……点けっぱなしだった?」
今、テレビの方を振り返ってみても、当然、切ってある。
「そのことも忘れてるんですか? もう、お年寄りじゃないんだから」
「いや、ニュースで天気を気にしていたのは確かにその通りだが、切らなかった記憶はない……」
「点いていました。私、鍋物をしているみたいな音がぐつぐつって聞こえたのが耳障りで、目が覚めたんですよ。それでテレビの方が白く光ってて、何かやってたんだけど、岸先生は普通に寝てたから。だから声を掛けずにそのままリモンでスイッチ切ったんです」
「そうか。すまない」
覚醒してきた頭で考え、想像する。もしかすると死神のやつ、テレビの深夜お色気番組を点けっぱなしにして、お隣さんに聞かせようとしていたんじゃあるまいな。そもそもこの時代に地上波でお色気番組なんてやってなかったと思うが。
「目が覚めたのって何時頃だったか分かる?」
「ううん。時間、確かめなかった」
「そのあとずっと起きていたのかい?」
「そうじゃないけど。えっと、まどろむっていう状態? うとうとしたら急に雨や風が強くなって、びくってなるっていうのを繰り返してた」
「怖かったのか。不安なら起こしてくれても一向にかまわなかったんだが」
「うーんとね、怖いっていうほどでもなかったわ。雷は鳴ってなかったし」
笑顔で答える天瀬。口ではそう言うものの、多少は怖くて不安だったはず。がんばったんだなとほめてやりたい。と同時に、テレビの件がほんとに私の消し忘れだとしたら申し訳ないな。いや、神内を呼び出すと決めて眠りに就いたんだから、点けっぱなしなんてあり得ないと思うが。
「寝なくて大丈夫か?」
「今は平気。眠たくなったら、家で寝ればいいわ。それより、朝ご飯どうするのー?」
「その前に天気を確認したいんだけどな」
「天気は昨日のが嘘みたいに晴れてるよ。あとは水が引くのを待つだけって感じ」
ニュースで見て確かめたいんだけど、何か言い出しにくい。まあいいか。あ、もっと優先するべきことがあった。
「天瀬さん。今朝はまだ、お家の人に電話してないよね?」
「うん。掛けていい?」
「そうだな」
私は窓から外の様子を窺った。道路が茶色く汚れて見える。まだ完全には引いていないが、着実に減っているのは分かった。
つづく
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