第399話 今とは違う名前を名乗るきみ

「それは想像を膨らませただけかえ?」

 意外そうな響きが感じられる死神の口調。天瀬はそのことに気付いているのかいないのか、すらすらと答える。

「ええ。もし真実にちょっとでもかすっていたのなら、ただの偶然です。あ、あと、きしさんのことが頭にあったからというのも多少関係しているかも。夫婦の物語を思い付いたのは、貴志道郎さんのことを心配する気持ちが影響したのは間違いないわ」

 天瀬……。今ここにいる彼女はまだ結婚までは考えていないと言っていったのに、それでも夫婦の物語を思い付くきっかけが私にあるとは。何かちょっぴり、いや、かなり嬉しいぞ。その事実だけで元気がわいてくる。

「――ふはは」

 幸せな心地は、死神の短く不気味な笑い声で破られた。

 ハイネは声を立てて笑ったこと自体を恥じるように咳払いを挟み、猫背気味だった姿勢をいくらか直した。

「これは見くびりが過ぎていたようですねえ。たとえ偶然絡みとは言え、思考してその答に辿り着き、コーヒー屋と女性という二つのキーワードを答に入れてきた。その運のよさに対する教訓と、私の私自身への戒めとして、今回ばかりは特別に正解と認めるとしましょか」

「いいんですか? 死神サンなのにそんな甘くして……」

 天瀬は真面目に心配している様子だ。ここは素直に受け取っておけばいいんだよ。

「ふん。面白い人間だねぇ」

 フードの奥で、死神の目が光ったように感じられた。

「人間の名前なんて、魂をいただくときにちょいと気にするくらいで、普段は面倒くさくて覚えちゃいられない。だが、おまえさんには多少興味がわいた。滅多にないことだが聞いといてやろう、名前は何という?」

「小さな子供のとき、夢に出て来たあなたみたいな死神に名乗らされた覚えがあるんですけど」

 天瀬はその子供の頃を思い出したのか、ちょっと怒ったような顔つきになっていた。

 ハイネの方の表情は、相変わらず窺い知れない。

「だからさっき言ったろう、面倒だからいちいち覚えちゃいないと。人間は神と違って、短い時間ですぐに見かけが変わっちまうから、本当に面倒なんだ」

 どこまで本音で語っているかは不明だけれども、神様時間と人間時間とでは、尺度が違うというのは容易に想像が付いた。神様に寿命があるとしたら人間よりも圧倒的に長いだろうし、そこへ加えて時空を超えて行き来することができるのなら、なおさらだ。

 と、天瀬が渋々といった様子で口を開いた。

「……名前は、貴志美穂です」

「それは将来あり得る名前でしょ」

 すかさず、神内から突っ込みが飛ぶ。私も心の中で同じように突っ込んでいた。何で結婚する方向に傾いてるんだ?

「だって、死神サンに名前を教えてもろくなことにならないイメージがあるから……」

 ああ、そういう意味か。結婚云々ではなく、本名を教えたくないからってことで、将来あり得る(私にとっては必然としなければならない)名前を口にしたと。

「いい歳になっても、漫画やゲームの影響を受けてるわね。死神は人間の名前を知ったからと言って、特にどうこうできる訳じゃないから」

「そうかもしれませんけど……何だか嫌」

 間を取り、ハイネを一瞥してから答えた天瀬。ハイネは肩をそびやかした。ため息をついたようだ。

「まあよいさね。下の名前があれば充分だ。さて、また面倒の虫が起きない内に、勝負を進めようじゃないですか」

「あ、次は私からの出題ですね」

「その前に、ポイントの確認を頼む」

 私は外野から声を飛ばした。神内がそれこそ面倒くさそうに「はいはい、あなた達の1ポイント獲得でいいわよ」と答える。それから天瀬に対して、「早くクイズを題してちょうだいね」と急かした。

「あんまり時間が掛かるようだと、出題の方にも制限時間を設けるから」

「それは当然ですね……」

 言いながら、指先をペンに、テーブルを紙に見立てて何やら書く仕種をしている。やがて手が止まり、にっ、とほほ笑んだ天瀬。

「解答の制限時間が原則的に二分と言うんでしたら、こういうのはどうかしら。あ、書く物がほしいんですけど、神様ならすぐに出せますよね?」

「もちろんよ。ノート一冊とシャープペンシル一本でいいわね」

「充分です」

 天瀬の返事を受けて、神内が手を一振りすると宙に大学ノートとシャープペンシルがぽんと出て、テーブルの上にぱさりと落ち――なんてことは起こらず、気が付いたらテーブル上に筆記用具が揃っていた。

「どうもありがとう。じゃ、問題を書きますから少し待ってて」

 そう言ったものの、実際にはほとんど待たせることはなかった。天瀬はノートを立てて、書いた物をハイネ達に見せる。私のいるところからは見えづらかったので、少々前の方に移動した。

 ノートの最初のページには、次の数字が大書されていた。


 123456789


「それが?」

 ハイネが節くれ立った指で差し示す。天瀬は笑みを絶やさすに答えた。

「『これらの数の列に四則演算記号を適宜配置して、答が2004になるようにしてください』、これが私からの一問目になります」


  つづく

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